なつですが
ねむれないそれでも

・・・ほどよくあついとか。
そこそこ快適な『なつ』とか。
なかなか
そういうわけには・・・
まいりませぬもので、つい・・・
・・・はい。
『蝉の声』とか、
澄んだ『空の青さ』。
水の光る岸。
奥深い山のにおい。
田園の続く田舎の風景。
里山を巡る緩やかな道筋。
茅葺の民家、鎮守様、遠くに犬の鳴き声。
日本の季節は、
いつでもどこでも
こころに沁(し)みる想いを、
情景を、惜しみなくあたえてくれる。
・・・ここまでは、
汗がじんわり滲(にじ)む、
暑さ真っ只中の7月19日に書き始めた、
この記事の冒頭。
こうして
続きを綴る今日、
7月21日は雨模様。
すこし肌寒いほどの・・・
ええ、
そうです、
どうあれど。
夏はとても好きな季節なんです♪
今回のエントリ目次:
⇒≪音源4作品(12作品分)≫
⇒≪曲のドラム演奏の解説≫
⇒≪制作に関する雑記≫
⇒≪Google検索キーワード『なつですが』について≫※
※更新しました(7/24 23:22)

・・・ほどよくあついとか。
そこそこ快適な『なつ』とか。
なかなか
そういうわけには・・・
まいりませぬもので、つい・・・
・・・はい。
『蝉の声』とか、
澄んだ『空の青さ』。
水の光る岸。
奥深い山のにおい。
田園の続く田舎の風景。
里山を巡る緩やかな道筋。
茅葺の民家、鎮守様、遠くに犬の鳴き声。
日本の季節は、
いつでもどこでも
こころに沁(し)みる想いを、
情景を、惜しみなくあたえてくれる。
・・・ここまでは、
汗がじんわり滲(にじ)む、
暑さ真っ只中の7月19日に書き始めた、
この記事の冒頭。
こうして
続きを綴る今日、
7月21日は雨模様。
すこし肌寒いほどの・・・
ええ、
そうです、
どうあれど。
夏はとても好きな季節なんです♪
今回のエントリ目次:
⇒≪音源4作品(12作品分)≫
⇒≪曲のドラム演奏の解説≫
⇒≪制作に関する雑記≫
⇒≪Google検索キーワード『なつですが』について≫※
※更新しました(7/24 23:22)
ねてみてね
ねむれないためしに

・・・『価値観』について考えてみた。
今回エントリ目次:
⇒≪雑感『価値観』≫
⇒≪辞書引用:『価値』『価値観』『産業革命』≫
⇒≪曲順&音源5作品(21作品分)≫
⇒■たまには5文字シンメトリー
⇒≪曲のドラム演奏の解説≫※
⇒≪演奏と収録の留意点・バスドラムのこと≫
⇒■演奏したバスドラムをクローズアップ
⇒■練習量をアップして変わったこと
⇒■収録の感覚と体感
⇒■DTMの操作の留意点
⇒【後記】
⇒≪自分と音楽の価値≫
※公開後も時々更新しています
遡(さかのぼ)って考えた。
産業革命以前は、
個人ベース(ベース=基盤・概念等の意)の価値観なんて、
存在の無いようなものだったろう。
国家レベルか相当有名にでもならないと、
「自分にとっての価値はコレコレこうなんです」
なんて、公や不特定多数に向けて、
個人では伝える術(すべ)が当時には無いものね。
隣近所、親戚や家族の前で宣(のたま)うのは別として。
大衆の面前で『良し』とされるモノ、
うわさでもなんでも、
みんなが『良い』と言う、
それか、『良いらしい』という、
そう云われるモノに価値があった。
当り前といえば当り前だが。
時代は今。
公開する者の価値観をも、自分のそれと、
すばやく、ときにはじっくり照合することもできる、
facebookやtwitter,blog...。
世界中からも閲覧を可能とする、それらツールの使い方の一部では、
昔の「井戸端会議」や、近年の「飲み会」のような、
コミュニケーションの意味も担っている気がする。
ただし、個人ベースの、
主にリアルタイムの価値観の優先であって、
同じプラットフォーム上に存在しているという、
いわばたどりつくべき『共有』を前提とする、
その『安心感(ときには不安とも言えるが)』を、
一般的な時間軸の前後に添えた状態で・・・。
そんな印象がある。
昭和期の・・・

・・・『価値観』について考えてみた。
今回エントリ目次:
⇒≪雑感『価値観』≫
⇒≪辞書引用:『価値』『価値観』『産業革命』≫
⇒≪曲順&音源5作品(21作品分)≫
⇒■たまには5文字シンメトリー
⇒≪曲のドラム演奏の解説≫※
⇒≪演奏と収録の留意点・バスドラムのこと≫
⇒■演奏したバスドラムをクローズアップ
⇒■練習量をアップして変わったこと
⇒■収録の感覚と体感
⇒■DTMの操作の留意点
⇒【後記】
⇒≪自分と音楽の価値≫
※公開後も時々更新しています
≪雑感『価値観』≫
遡(さかのぼ)って考えた。
産業革命以前は、
個人ベース(ベース=基盤・概念等の意)の価値観なんて、
存在の無いようなものだったろう。
国家レベルか相当有名にでもならないと、
「自分にとっての価値はコレコレこうなんです」
なんて、公や不特定多数に向けて、
個人では伝える術(すべ)が当時には無いものね。
隣近所、親戚や家族の前で宣(のたま)うのは別として。
大衆の面前で『良し』とされるモノ、
うわさでもなんでも、
みんなが『良い』と言う、
それか、『良いらしい』という、
そう云われるモノに価値があった。
当り前といえば当り前だが。
時代は今。
公開する者の価値観をも、自分のそれと、
すばやく、ときにはじっくり照合することもできる、
facebookやtwitter,blog...。
世界中からも閲覧を可能とする、それらツールの使い方の一部では、
昔の「井戸端会議」や、近年の「飲み会」のような、
コミュニケーションの意味も担っている気がする。
ただし、個人ベースの、
主にリアルタイムの価値観の優先であって、
同じプラットフォーム上に存在しているという、
いわばたどりつくべき『共有』を前提とする、
その『安心感(ときには不安とも言えるが)』を、
一般的な時間軸の前後に添えた状態で・・・。
そんな印象がある。
昭和期の・・・