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プロセスは

ねむれないしんぷる
201203301857b.png
とある衝動を経て、
楽譜に仕上がった、
ひとつのテーマ。

ボクはそのテーマを、
『原曲』と呼びます。

特に歌のあるボクの楽曲制作のプロセスは、
これまで(以下のエントリ)のように書いたやり方がベース。


201203301129b.png
3回目|こうなるね

201203300413b.png
2回目|つづきだよ

201203290336d.png
1回目|できるかな


3回にわたり、
このブログの場をお借りして、
ボク自身の制作プロセスの公開に用いている、
自分のオリジナル曲。

その楽曲の『原曲』について、引続き今回4回目は、
3つに分けた[theme(テーマ)]を軸に解説を試みてみます・・・
 

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≪3つのテーマ≫

⇒Theme A(4小節)
⇒Theme B(4小節)
⇒Theme C(4小節)

この3つのテーマに対し、
[intro(イントロ)]が加わり、
[interlude(インタールード『間奏』)]が、
イントロよりインスピレーションされ、
[ending(エンディング)]は、
[Theme C]を[Theme C'] へ、
混同したイメージのもとで飛躍させ、
終曲[Coda(コーダ)]として、
終止[fine(ファイン フィーネ)]を迎える。

『原曲』が、
『歌のある作品』として、
カタチを成すまでには、
『作詞』という過程を経ながら、
大概このようなプロセス※で展開してゆきます。
(※または『ストーリー性』とも)
(※あくまでもボクの場合の『ひとつのやり方』です)

201204151201_theme.png

そして、
そのイメージを、

『コト(事)』や『モノ(物)』の道理・・・
(『始まりがあって終わりを迎える。
その流れの方向や、内容に中心があること、
一貫した繋がりの有無の様子、循環の経路、
それぞれの相互関係を見せたり見えなかったり。』など)

~と、なんら違いはないもの、という思いで
上の図(制作のイメージ:楽曲の構成)のように表してみました。


さて。
・・・楽譜を全て見てみましょう。
201204142213.png
201204142223.png
<楽譜画像>

それでは、
この楽譜を、
musescoreでwav出力しましたので、
聴いてみましょう。
以下の音源は、
musescoreでそのまま出力※したwavファイルをiTunesでmp3変換したもので、
musescoreは楽譜に記譜(指示)したとおりの「繰り返し演奏」を再現します。

【つながったんだね♪】

▼歌は入れないの?




Texte alternatif


[03min06sec]
■title : 17_020616C#mC#t2 ver.05
■著作・制作 / 鈴木亮司 © Ryoji Suzuki 2012
(※試聴用に処理をしていない状態です、必ず音量を小さくしてから再生してください。)



で、
楽曲の『原曲』ができたなら。
次のプロセスは、
『作詞』です。

先程の、
楽譜に記載してある、
小さなローマ字が、

今回の連載記事執筆中に
ボクが作った歌詞です。

まず全文を、
書き表してみますね。
(※一部相違があります)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
タイトル:

『朧雲』




ただ

朧雲

十六夜

あなたと潤む

二人で

見上げる宵の

静かな「弧」描いて

光浴びて暖かく

あなたのそばで

永遠の時想う

眠らずに・・・





ただ

朧雲

二十三夜

あなた面影隠せど

指の隙間すり抜けた風のりて

季節の過ぎる様とは

「忘却と眠り繰り返す」

夢のまま

今は

戻らない

あなたのもとへゆこう

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このような
歌詞を作りました。
だいたいの意味は、

「月夜の朧雲」

「朧月夜」

です。
ただし歌詞自体に、
『月』という名詞は使いませんでした。



今回はここまでです♪



いつも有難う御座います<(_ _)>
Ryoji Suzuki(^o^)♪



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Date: 2012.04.22 Category: 制作中  Comments (6) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:

Date2012.04.24 (火) 07:56:04|編集

音楽の授業では、ある程度の年齢になると、音楽の構成について学び始めるんです。A-A`-B-A`みたいな感じで。
年齢に応じては、身体を動かして確認しながら(Aは、手をつないでくるくる回る。Bは、横一列でスキップする…とか)
だんだん こういった構成について 無意識にでも 楽しめる人が増えるのではないでしょうか♪

興味深い 取り組みをありがとう。

Re: >♪さま。

Ryoji Suzuki

Date2012.04.24 (火) 11:16:41|編集

>♪さま。

おはようございます。
コメント有難う。

進んだ教育を実践されていたようですね。
スバラシイです♪
そして、
こういった場に、どうぞ、
どんどん経験談を持ち込んでください。
だれかしらのなんらかの役に立つでしょうv-22
お待ち申し上げております<(_ _)>

-------------------
≪ボクの場合≫

構成について、
ボクの記述や、
その書き方、ネーミングは、
少々型から、
はみだしていませんか?

あと今回は、

A-A'-B-A'
A-B-A-B-C(popular)
A-B-C-A-B-C-C'
T|T|SD|T|D7|T(blues)※

など、
一般の形式の基本進行を、
概念に持たないよう制作しました。
(※表記の正誤も未調査です)

ボクのなかで、
A-B-Cの制約を、
事前概念に鎮座させると、
自然に移り変わる、
音調意識の制約に成長してしまい、
作品創作そのものの自由度を、
見えざるところで、
自ら奪うことがしばしばあるためです。
(自由すぎる自分を制御するには役立ちます♪)
また、いまここに書いた、
こういったことはあまり記述するべきではなく、
『基本に忠実である』ということを、
本来強調するべきなのかもしれません。

楽典と、
楽典を基にしたjazz理論書による、
影響がかなり長期にわたり尾を引き、
自己の基礎の土台を築くと共に、
自己の制作の妨げになっていました。

なにがなんでも「守ろう」と、
固執してしまうことがあるんですね。
(・・・そうすると破壊が面白くなる)

ところが、
自由にイメージしても、
自然に『必然の形式に落ち着く』もの、
これも経験しました。
「基礎を守った賜物だろう」
とも評されることもあるでしょう。

この話をさらに、
飛躍させ、
もう少し大きな視点で、
表現すると、

「ある特定の世代」が、
「ある特定の教育」を受け、
その流れの息づいている
「ポピュラーミュージック」
「音楽放送」「クラッシック」「jazz」
「ロック」「その他のジャンル」に、

おおよそ耳を傾け、
「音楽情報書」に有る程度目をとおし、
時たま「演奏」したり、
時たま「演奏」を聴きにゆく。

そういった、
環境下にある、
だいたいの日本人皆、
大まかにみれば、
さほど感覚の変化、
感性の差異はないでしょう。

その日本、
日本からスバラシイ音楽は生まれているのでしょうか。
日本人は音楽をスバラシイものとして聴く感性を育まれたでしょうか。

ボクは、
そのあたりまで
自問自答すると、
なんとも面倒な気がしてしまって、
自分で作曲を始めてしまいます。

・・・で、特に、
否定も肯定もないのです、
先人や教育に携わった方、
皆様に純粋に感謝したいです。

そして、
自分で作曲を始めて気が付きました、
『あぁ、音楽はなんておもしろいんだろう♪』
Ryoji Suzuki(^o^)♪

まーる

Date2012.04.24 (火) 11:40:32|編集

♪朧雲 の歌詞
なんかさ・・・
月を見上げては泣いてばかりいた子どもの頃の自分、とか
空や雲を眺めては
いろんなこと思ったり思わなかったり(?)する今の自分、とか
そういうのと勝手に結びつけて、重ねちゃったり
それから
・・・勝手にごめんよ
全体の、孤独なんだけどあったかい感じ
あったかいんだけど孤独な感じ、っていうのかなぁ?
そんなやつも感じてみてしまい
わたし・・・うぅ(TωT) ←泣きすぎw

ふぅ。
もっとあれこれ思ったこと、あったような気もするのに
全然うまく書けないや o<。・ω・。>o (笑)

Codaとか、D.S.とか、fineとか
ああ、そんなんあったなぁ・・・と
かな~り遠くうっすらとした記憶だけど
ちょっと懐かしんでいるよ♪
ただ、それ以上に
こういった用語が登場するだけで
ひゃあ(@Д@;
って思っちゃうわたし、でもあり(;´▽`A``
実際はそんなに難しいことじゃなくても
用語の雰囲気が“難しい”になっちゃうのって
なんでなんだろね?(わたしだけかもなぁ♪)

この曲を
りょうちゃんの演奏、歌で聴けるのを
楽しみに、でものんびりと待っているね(*゚ー゚*)
それまでは、メロディーだけピアノでちらっと弾いてみたり
歌詞も勝手に自分で歌っちゃったりして
むふぅ( ̄▽ ̄)=3
って遊んでるね♪ (笑)

Re: >まーるちゃん。

Ryoji Suzuki

Date2012.04.24 (火) 20:03:30|編集

>まーるちゃん。

こんばんは。
コメント有難う。

ボクの作った詞に
自分の想いを重ねてくれて
有難う、すごく嬉しいです♪

この詩には、
いろいろな意味があること、
「出来た後」にも更にくっついてきていて、
それをどう表現したらよいのか
まだ纏められないでいますv-22

月は「あなた」、
雲は「わたし」。

・・・眠れないほど、
『あなたを想う』という、
言い回しは、聴いたことあるような気がする。

月を『あなた』にたとえ、
恋焦がれる話も昔からよくあるのでは?

竹取物語は、
最後は『月に帰る』という
設定だったような気がするけども、
実は好きな人ができてしまい、
育ての「お爺?」に、
それを婉曲に言いまわすのが
そもそも目的だったのでは?

かなわぬ恋心をうたった、
昔の歌人やそのココロは
『月に帰る』と表して、
じつは現世(うつせみ)を捨て、
霊となって思う人のところへ行こうとしたのでは?
(・・・コレはちと怖い)

それとね、
『寝物語』を書こう、
と思って、
『寝物語』という、
コトバを調べたら、

「寝物語の里」というのがあってね、
--------------
引用元の文:
その昔、京都から奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が旅の道中で長久寺の近江側の宿をとりました。隣の美濃側の宿には義経の家来の源造が泊まっており、それに気づいた静御前が「義経に会うために、奥州まで連れて行ってくれ」と源造に懇願した、というやり取りがあったそうです。両国の宿に泊まる旅人が、寝ながらこの話をしていたことから、この土地の人々が「寝物語の里」という名を付け、今もなお語り継がれているのです。

「義経を想う一途な女性、静御前」
兄・源頼朝に背いた義経の京都逃亡に随行した静御前は、吉野山中で義経と離れて京都に帰る道中で捕らえられてしまいます。その後頼朝夫妻に、舞を命じられて人々を感嘆させますが、その際に「今一度しず、しずと呼ばれていた昔に戻りたい」「吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していった義経が恋しい」と義経を想う詩をうたい、頼朝を激怒させてしまいます。このように、敵中においても一人の男性を想い続ける一途な女性だったとされています。
--------------
▲こんなんだったから、
ついおもしろくなって、
作り話をつくってみた。


━━━━創作話━━━━━
背景の設定(会話):

「シヅ」と「ゲンゾウ」

「・・・これ」
「もし・・・これ・・・」
「?」
「・・・ゲンゾウだね?」
「・・・そのお声は・・・もしや・・・」
「・・・これはこれは、シヅさま、」
「奇遇なところでお会いしました・・」
「今時分どうしたんです?・・・あ、
そうですか・・・落ち延びられた、ウシワカさまのあとを・・・」

「しっ」
「声をたてるんじゃないよ」
「あたしを・・・ね、・・奥州まで、連れて行ってほしいんだ。」
「・・・」
「おねがいだよ、後生だから・・・」
「・・・」

(お転婆だったシヅさまも見違えたものだ・・・)

「ええ、おっしゃるとおりにいたしましょう」
「前途多難ですよ、お覚悟のほどを・・・」
「ゲンゾウ、ありがとう。」

兄ヨリトモに背き都を逃れたウシワカ。
愛しいそのウシワカの後を追って。
シヅのゲンゾウを従えた、
二人旅は今始まりました。

奥州に向かって。

Ryoji編「静」と「源造」
━━━━おわり━━━━━

そして、
「・・・なるほど」
「こうすれば『静』が『義経』を想い、
毎夜毎夜月を眺めていたところ、
二十三夜にその後を追う決意をした『歌』になるじゃん♪」
「どこで『弁慶』をだそうかな~♪」
「えと『シズ』を『シヅ』に変えて~っと♪」

なんて。
どんどん世界が広がる・・・
まだまだあるのよ。

「月の神」月読命(つきよみのみこと)のこととか、
「十六夜(いざよい)」「二十三夜」のこと、
「忘却と眠りを繰り返す云々・・・」のこととか。

これ以上、
公開コメントを長くするのも、
なんだから、
続きはまたあとでね♪

歌詞に触れてくれることで、
ボクの中にある、
出るに出られない、
よい話を引き出してくれた。

まーるちゃんに限らず、
ボクの思うことのいくつかが、
任意のみんなに見えるように、
このコメントのお返事は、
そのように書かせていただきました。
いつも助けてくれてありがとう、
とても助かりました<(_ _)>

Ryoji Suzuki(^o^)♪

Date2012.04.29 (日) 22:38:46|編集

気まぐれに打ち込んだコメントへの丁寧なお返事。ありがとうございます。

「構成について、
ボクの記述や、
その書き方、ネーミングは、
少々型から、
はみだしていませんか?」

いいえ。
ちっとも 違和感は感じません。
個人的には 「型からはみ出した表現」は大歓迎ですが…

それにしても、
こうして歌詞がついてみると
やはり 「音から作った」とは思えないですね。
単語のイントネーションもさることながら、
言葉のつながりと 息づかいが
見事に 音に寄り添っています。
いや むしろ 言葉が寄り添うことで 旋律が更に 躍動感をもって迫ってきたような気がします。

こうして 制作過程を公開していただいても
信じられない気持ちです。

実は、私も試してみたのです。
このメロディーに寄り添う詩を 作れないものかと…
二日 格闘しましたが、とても とても 難しい作業で すぐに 白旗を揚げてしまいました。

Ryojiさんの作曲は 素晴らしいです。
歌入りバージョンのアップを お待ちしています。

あまり 声音に加工が加わっていないことを願ってますが、
作者の意図があろう事と思いますので、
加工の薄いバージョンも 参考として公開して貰えると 嬉しいです。
あなたのポリシーに反するかな?

気まぐれな送信ですので お返事は不要です。






 

Re: >♪さま。

Ryoji Suzuki

Date2012.05.06 (日) 22:27:16|編集

>♪さま。

こんばんは♪
とてもよいコメントを有難う。

寄せられる、
コメントに、
歌をフィルタ加工していることについて、
度々指摘があるので、
この場をお借りして、
任意のみなさまへ、
謝意を込め、
メッセージを記述しておきます。

『なぜ歌を加工するのか?
加工をしない声質でも、
充分であるだろうし、
わざわざ手間をかけているのであれば、
手間をかけなくてもよいのではないか。
又、加工した声質よりも、
加工しない声質のほうが、
生理的には好ましいかもしれない。』

だいたいは、
このような内容を、
もう少し簡易に優しくした感じのことを、

『加工していない声質の歌も聴いてみたい』

という、
要望のようにして、
まとめてくださったご意見を、
メッセージとしてこれまでに、
4~5件承ることが御座いました。


そのことに関する、
自分の思うこと、
なぜ自分は加工声質を使うか、
すべてをお伝えすることは難しいけども、
いくつか、個人的な事情があって、
加工した声質を意図的に使用していることの、
その現状について、それかなんらかの、
相互理解の糸口となれるよう、解説を試みてみます。


ここから先は、
有る程度作曲なされる方、
作品制作なされる方へ向けた、
メッセージとして記述いたします。

---------------------

先ず、
私の制作は、
『作曲』が「メイン」です。
歌や演奏は、楽曲がカタチを成すまでの、
2次的要素として『割切って』おります。

私は、いわゆる、
『歌手』ではない。

器用でない自分にとって、

「歌を歌う」という行為は、
『生きざまのすべてを投入』する、
そのように自覚しているため、
制作という客観視主体の作業に於いて、
生きざま的集中力を要する「歌を歌う」という行為と、
同時の時間の流れの中で併行した作業をおこなった場合、
自己の管理を見失うか、コントロールできなくなり易い、
そういうところに起因していそうです。

「制作」ということと、
「歌う」というプロセスを、
完全に断ち切ることで、
これらのことは単に実現可能となるのが、
これまでの常道でしょう。


制作主体の私の動作状況において、
主旋律や歌詞の構築は、流動的に変化し更新されます。

このため、
歌を一言一言差し替えたり、
メロディを僅かに変更、更新することも、
その「素材」を、取り込める状態に、
『作品自体』を対応させておかなければなりません。

その、
素材の原石となる、
貴重な、
コトバや、
メロディを、
作品に対し、
自己で「事後把握できる」状態で、
正確に現状反映する際、
あらゆる環境下でも、
録音をすることがあります。
つまり、
「低い声域」であったり、
「スローなテンポ」で、
「コトバの韻の再現」を重視した、
『収録』をおこなったり、
「キーの異なる節」として、
反映させることもあるのです。

この場合、
反映を確認する際、
編集作業が主体となるので、
「機械的」か『無機質に近い状態』のほうが、
素材を
そのときの状態に、
なじませることに、
『ストレスが生じにくい』
という利点があるのです。
(ボーカロイドは、この辺が利点かもしれません)

それと、
最後に、
自分の生声を、モニタするのは、
とても過酷なことです。

完成した、
『歌』であれば、
その過酷なことも、
反省点として、その後の、
反映や結果に持ち越すことも、
努力次第では可能ですが、

完成以前の『歌』は、
「良いこと」もたくさん存在していますが、
『行くべきところを示していない』要因もたくさん含んで、
「歌」として表現されます。

その、
完成以前の『歌』を、
作品制作のために、
繰り返し反復モニタすると、
自分の「歌」の『複合的な現状』に、
『洗脳』されてしまいます。
自ら誤解や混乱を導きやすい、
目的を見失い勝ち、
とも言うことができます。

制作時に、
テイクを聴く回数を例にとっても、
特には歌唱の素材で生成する際は、
1曲につき500~1000回程度は楽に越えます。

「作品制作」や、
「作曲」の原動力は、
自己の中で
「行くべき場所が見えている」
ということに『核』があります。
ただし「行くべき場所」というのは、
私にとっては、
『既存の場所』ではなく、
創造でのみ、作られるところなのです。

その、
自己の中に自覚されている、
「行くべき場所」を、創造することに対する、
反作用をおこすことが、
自分の『歌』の現状に、
『洗脳』されてしまう、ということなのです。
そして、その『洗脳』を、
私自身『望んでいない』、
ただ、それだけのことなのです。

---------------------

要するに、
完成した作品であれば、
歌を練習し、
有る程度完成した歌をのせることで、
加工するかそうでないか、は、
二の次、ということになります。

私の場合、
歌を歌うことが、
メインではなく、
作曲することが
今のところメインであるので、
歌を『歌』として、収録する、
行為より、作曲のほうへ、
作品を完成させる行為へ、
作業が偏ります。
それらのことが、
現状で、表現されているが、
このような芸術である。

重なりますが、
そういう「表現手法」の、
『音楽という芸術』であるのが、
今の私の『現状』である。

再び重なりますが、
今のところそういうことなのかも、
今の現状は『そういうカタチの顕れである』なのだろうな。

自分では、
『今の自分』を
そのように『評価』しています。

そんな自分。
みなさんの有難い要望に応えられることができるのでしょうか。
同じように自分からもみなさんに何か要求をしたりして、
ボクも応え、みなさんとも応え合えば、相互作用をおこして、
それらバランスがとれて良いことになるんかな♪

それなら、
とってもよさそうだよね♪
そんなふうに頑張ってみる♪
>「ポリシーに反する」
など、滅相も御座いません。

今日は、
このような表現に結ぶことができましたv-22
いつも有難う御座います<(_ _)>

Ryoji Suzuki(^o^)♪

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