なかないで
ちょっとまって。
あかるく振る舞うのは
ココロの奥底の暗闇に
触れない機会を
増やしていたり。
ほんのわずかなあいだでも
真っ白になりたい、
あたらしくありたい。
だれもが同じ
さみしさ
つらさは
本当は忘れられない。
だから
楽しみを
見つけるのには
ほんの少しだけ
誰かのチカラが
誰と限らず
お互いに必要なんだ。
それだって
立派な『愛』なのかもしれないよ♪
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・・・「痛み」「疲れ」なんかに。
ひとときのやすらぎを『音』で▼
いつも有難う御座います。
Ryoji Suzuki(^o^)♪
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あかるく振る舞うのは
ココロの奥底の暗闇に
触れない機会を
増やしていたり。
ほんのわずかなあいだでも
真っ白になりたい、
あたらしくありたい。
だれもが同じ
さみしさ
つらさは
本当は忘れられない。
だから
楽しみを
見つけるのには
ほんの少しだけ
誰かのチカラが
誰と限らず
お互いに必要なんだ。
それだって
立派な『愛』なのかもしれないよ♪
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・・・「痛み」「疲れ」なんかに。
ひとときのやすらぎを『音』で▼
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この記事へのコメント:
まーる
Date2012.06.03 (日) 13:12:58|編集
投稿してみようとは思うけれど
もし、何か良くないことがあれば
非公開にする、削除する、などなど
よろしくお願いね<(_ _)> お任せします♪
昨日、だったかな
わたしも
------------------------
ほんのわずかなあいだでも
真っ白になりたい、
あたらしくありたい。
------------------------
こう↑なっててさ。
そうなる前、この記事を最初に読ませてもらったときは
「ああ・・・そう思うこと、あるかも。
そういう自分のとき、あるかも。」
とは思いながらも
けっこうぼんやりした感じだった、というか
あいまい、漠然としていた、というか。
なんとなくは分かるような気がする、
でも・・・どんな感じだったっけ?って。
それが、昨日
「あ。この感じだ・・・きっとこういうことだ。」
って、だいぶはっきりと
その感覚を感じた、と思ったんだ(*゚ー゚*)
でね、もし
わたしだったら
------------------------
ほんのわずかなあいだでも
真っ白になりたい、
あたらしくありたい。
------------------------
こういう風↑に表現できたり、この感覚が分かるとすると
それって、「淋しい」「つらい」「苦しい」などの
真っ只中にいるとき、だったりする・・・
多分そうだと思う。
「つらい」ときの気持ちは
「つらい」ときの自分にしか書けない、分からない、
そうでなければ、さっきみたいに
あいまい、漠然としていて、分かるようで分からなかったり
意外と簡単に忘れちゃったりも。
それで、思っちゃったんだよね。
この記事を書いたときのりょうちゃん
すごくつらくなってしまっていたのかなぁ?
今もつらかったりするのかなぁ?って。
「・・・「痛み」「疲れ」なんかに。」
「ひとときのやすらぎを『音』で」
とあるけれども
この曲を作ったり、聴くことで
りょうちゃんもまた、ほんの少しでも
やすらぎを得られたのかな・・・
それ以外のことでも、りょうちゃんが
やすらげるとき、やすらげる何か
ちゃんとあるのかな、あるといいな、って(´,,・ω・,,`)
ごめんね。
あくまでも
「わたしだったら、このときすごくつらかっただろうなぁ」
というところからの強い思い込み、とか、こじつけ、で話してるし
すごくおせっかい、それだけになっちゃってるかも・・・。
--------------------------------
それだって
立派な『愛』なのかもしれないよ♪
--------------------------------
かぁ。
その「それだって」が、また
けっこう・・・なんていうか
簡単じゃないのかもしれないね。
なんて、人嫌いのわたしが言うのも
おかしなものか( ̄ー ̄; (笑)
最近、けっこう疲れていたことだし(←いつもじゃん 汗)
曲、聴かせてもらってます♪
ありがとう^^
Re:>まーるちゃん♪
Ryoji Suzuki
Date2012.06.04 (月) 20:26:37|編集
コメント有難う、
音楽聴いてくれて有難う御座います<(_ _)>
また、
細やかな心遣い、嬉しいです。
ボクのブログ記事、
文書だけでは、
何かに欠けていて、
それで音楽やイラストも添えている。
それでも、
まだ何か欠けている。
少しだけ自覚があるのは、
こうした、
コメントと一緒に、
記事が、
ブログが、
成り立っていればなぁ、
そんな思い。
でもそれは、
ブログの当り前や、
ブログの理想とかでもなくて、
ボク自身の、
なにかこう、
思い込みというか、
希望みたいなものとでもいうのか。
でも、
違う角度からみれば、
例えば『コミュニケーション』。
「一方通行」とか、
ときどき、
そのようなブログコメントを挿入している人、
そのようなコメントを挿入されているブログ、
みたような記憶もあるけども、
その「一方通行」とは、
あまりよい意味でつかわれていなかった。
ボクは、
ブログというものは、
書く人の、
心持ち次第で、
「一方通行」であるのもよいし、
「一方通行」であるほうが、
よいジャンルのブログ、
というのもあるだろうし、
「一方通行」であることで、
なんか問題を感じさせてしまうような、
そんな記事の書き方だってあるんだろうな、
そうも思える。
その、
「一方通行」という、
コトバを用いるか、
そういう意味ではない、
とするか、
そのへんも曖昧だけども、
ボク自身は、
だれとも、
コミュニケーションを成せないような、
記事を書こう、とは、
微塵も思っていない。
コトバは多くなったけども、
それくらいしか、意思がない。
「会話」で成り立つ、
「会話」に助けられる、
つまり、
「コメント」によって、
「コメント」のチカラにもよって、
ブログの運営は進行している、
ボクは自分のブログについては、
そう感じている。
「コメント」のチカラに「も」よって、
ブログが進行する、その前提には、
自分自身が
「コメント」に負けないくらい、
なにか志をもって、
書き綴る、
そういう姿勢があるなら、
当然、
それを「よい」と思うだろうし、
それほどの「意思」や「姿勢」を意図としなくても、
日々の雑記、雑感であっても、
充分個人の主張は成り立っているだろうから、
それもよいのだ、そう思う。
それらの意味でも、
まーるちゃんの
コメントにある、
数日にわたる自己体験をもとにした、
ボクに関する同意を、
こうしてコメントとして、
書き表してくれた、
公開コメントとして、
このログに書き添えてくれた、
このことは、
たいへん『意味のあること』だとおもう。
『意味深い』ではない。
『意味がある』なんだ。
まーるちゃんが、
それほど、
ボクの記事の
深い内容に触れているわけではない。
もちろん内容の深い記事を書いているわけではないので、
それでいいんだよ♪
だよね?
もし、
これが、
会話だったとしたら、
ボクの、
つぶやきに対して、
「ふーん」
「そんなんあるかもね」
「うんうん、そんな感じだった♪」
と、
相槌をうってくれているだけだもの、ね♪
これほどにカンタンなことが、
文字ベースだと、
公開対象だと、
これだけの文字数を占有する。
それほど、
コミュニケーションとしての
「感情」や、
「意思の疎通」というのは、
対面や会話ベースが主で、
文字ベースでは、
双方の「思い込み」によって、
あたかも成立しているような、
『錯覚に陥りやすい』、
そういうことであるのだとおもうし、
ここに綴ったことは、
みんなわかっているようで、
けっこう盲点じゃないかな?
・・・盲点とは、
『ブログコミュニケーションの盲点』
とでもいうようなこと・・・かな。
そうおもっている。
いま、
ここに、このお返事が、
作成できて、
自らコメント返信として漕ぎ付けられることが、
なによりも嬉しい。
いろんな人にも、
この投稿コメントを見てもらいたい気がする。
まーるちゃん、
長い文書に
なってしまったけども、
今日もボクから、
良いことを引き出してくれたね、
とても嬉しいし、感謝しています♪
ボクとのこのやりとり、
「コメント投稿」とその「コメント返し」は、
まーるちゃんが書き添えてくれた内容とは、
角度がズレるか飛躍してしまっているけども、
冒頭で触れた、
ボクの『欠けている』何か、
を、こうして満たしてくれているのです
いつも本当にありがとう♪
Ryoji Suzuki(^o^)♪
flowerh
Date2012.06.05 (火) 23:56:38|編集
それが誰かのためになることってあると思います。
でもなかなか伝わらないのも実際ですし、
無力さを感じることも。
でも進むしかないんですよね。
Re: >flowerh さん♪
Ryoji Suzuki
Date2012.06.07 (木) 22:15:41|編集
こんばんは。
コメント有難う御座います<(_ _)>
お返事ちょいと遅くなりました♪
仰るとおりですよね。
伝わるところまでみとどけられたなら、
もっと相乗してなにかこう、
明るいよい雰囲気で、
ハイレスポンスな軽やかな、
それでいて雄大な、
テンポに満たされることでしょう。
想像しただけでもワクワクします。
「やるだけやった」
という、フレーズも、
よく耳にします。
それさえも、
よくてヒフティヒフティ、
ややもすると、
自分を慰めることくらいにしか。
「進むしかない」は、
確かなひとつの答えだとおもいます。
いろいろ、
おもうこと、
すぐにコトバにできませんが、
「進む」に対し逆説的に例えるなら、
「立ち止まる」とか・・・
それはそれでかなり難しい。
止まるだけなのに、でも、
なぜか代償(リスク)が多くなる。
このお返事の前の、
コメントでも触れましたが、
「思い込み」を超えて、
真に相手の立場にたてるか、
そう言うその前には、
自分こそがみんなに支えられている、
「流れの中にいる」「流れのひとつである」
そこに真に気付くことも大切。
そうこうしている間に別方向では、
無意識な壁が成長してしまうのか、
そのようなココロの閉じるような動作をみるとき、
その「かたくな」な重さは、
我が身の強情さにも通じ、
そのはね返りでもあるんでしょうか、
そこに関しては常にやわらかくありたいものです、
そんなところに努力がいりそうです♪
-*-*-*-
たとえば・・・
一見、
利便性の高い、
webベースのコミュニケーション。
知らず知らずのうちに、
ひろがる無言、無形の不明な格差に、
苦しんでいる側の人も少なくない気がしています。
・・・抽象ばかりの、
少々「難易度高い」お話を書いちゃいました、
任意のみなさま、ごめんなさい♪
でも、flowerh さんに、
そしてみなさまにもそれなりの意味合いで、
なにかしらが『通じる』と、
ボク、早速『思い込んじゃって』います
あはあは♪
いつもよいコメントを有難う御座います(^o^)♪
Ryoji Suzuki^^
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