ねるまえに
ねむれないくんれん

ここんとこ。
ドラムの練習したり。
イベント参加したり。
で、
なんだか、
よりいっそう、
ギターが下手になった、
そんな気がして。
あ、下手(へた)って、
書くの、よくないね♪
これからは、書くのなら、
『ボクはへたっぴぃ♪』にしよう。
『っぴぃ』が付くだけで、少しかわいい感じするもんね。
エントリ目次:
⇒【自分のこと】
⇒【他人のこと】
⇒【へたうま考】
⇒▼ボクは、こんなんも、あって。
⇒≪音源:ギター・エチュード4曲『練習曲12作品分』≫
⇒≪作品タイトル・スマホ再生≫
⇒≪ギター演奏の解説≫
⇒【イメージの概況『武蔵野(むさしの)』】
『ボクはへたっぴぃ♪るんるん・・・』
でも。
はたして?
そういうことでよいのだろか・・・

ここんとこ。
ドラムの練習したり。
イベント参加したり。
で、
なんだか、
よりいっそう、
ギターが下手になった、
そんな気がして。
あ、下手(へた)って、
書くの、よくないね♪
これからは、書くのなら、
『ボクはへたっぴぃ♪』にしよう。
『っぴぃ』が付くだけで、少しかわいい感じするもんね。
エントリ目次:
⇒【自分のこと】
⇒【他人のこと】
⇒【へたうま考】
⇒▼ボクは、こんなんも、あって。
⇒≪音源:ギター・エチュード4曲『練習曲12作品分』≫
⇒≪作品タイトル・スマホ再生≫
⇒≪ギター演奏の解説≫
⇒【イメージの概況『武蔵野(むさしの)』】
『ボクはへたっぴぃ♪るんるん・・・』
でも。
はたして?
そういうことでよいのだろか・・・
【自分のこと(雑念)】
ギターの『うまうまタイプ』でない、
ボクはなんだろ?
『拙い』とか、
そういう表現も、あるな。
『ボク、ぎたーツタないっす・・・タイプです♪』
むぅ。
あんまり聞かないなぁ。
なんか汚(きたな)そうだしな。
でもなぁ。
自分で自分のこと、
たとえひらきなおりでも、
『へたっぴぃ』なボクが、
『上手い』とか言ったら変だしな。
そういう、
客観なことを、
自分が言うのがへんなのかな。
よし!
これからは、
自称『うぅ・まさかミー・ギターヘンタッピリクス・ペイジョ・ハリプトン』と、
言おう。
変?
長い?
・・・意味?
ないよ。
明日には、
ここに書いたこのコトバの並び自体、
忘れちゃうしね♪
お・・・
そういえば。
『へたうま』って、
たまに聞くよね・・・
でも自分のことを、
『へたうま』も『うまへた』も、
やっぱり言えないもんね。
自分のことの、
客観論。
雑念的ウダウダ。
今日はこのくらいでやめておこうね♪
【他人のこと(考)】
他人のこと?
だれのことでも『上手い』は、
言ってもよいかも、だけれども、
『下手』って言うと、
言われて傷つくヒトいるよ。
え?
誰かに『下手』って言われたのか?って?
言われたこと、
あったかな?
いつでも自分をそう思っていたからな♪
たぶんそれで練習が続いているような気がするし。
あ、そうだ、
『これいじょう下手にならんようにしよう♪』
という思いで練習を始めたこと、
ここに書きながら今おもいだした、うん。
あと、『上手い』を連呼すると、
その周りで嫉妬する(悪い気持ちになる)ヒトもいるから、
よっぽど必要な時、それ意外は、
もしかしたら、
あんまりそういうこと、言わないほうがよいのかもね。
そういうふうにおもうこと、これまでもあったものなぁ。
うん、うん、
『上手い』も『下手』も、
他者の批評として、自分の主観の主張として、
当時者間では熱い議論を呼ぶこともあるけれど、
端(はた)で聞くとあまり面白いことはない、というのもあるね。
『面白い』と思う人もいるだろうし、そうでない人もいるんだね。
ほめます♪(。・ω・)っ&ヽ(゚◇゚ )ノよろこびます♪
このていどの範囲なら、いいよね♪
でも。
自分のことで、
『上手い』とか『下手』とかで、
思い悩み、苦しむのは、よそうね。
『下手だなぁ、自分・・・(TωT。)』なときは、
落ち込まずにワザを磨く練習をするといいもんね。
『けっこう、上手いじゃん、自分♪』なときは、
より一層調子にのって練習すればよいのだけれども。
そして、
練習をしたくないときは、
練習のやり方があまりよくなかったり、
そのやり方が自分に相応しくないときかもしれないから、
『無理矢理に練習』するのを、
ひとまずやめるのがよいことなんだ、
ボクはこれまでも時々そうおもったかな。
だから上手くなれないんだ、そうも思うけどもね。
だれかたよれるヒトにそういうの、相談するのもよいかもね♪
無理矢理な練習をやめたとき、
そんなときは、
新しい、か、それか、楽しいやり方、
気付かなかった『なにか』、
練習でもどんなことでも、見つけられると尚よいよね♪
楽しそうなヒトをそばに感じることで、
楽しいが連鎖すること、音楽には多いよね。
相談されたヒトもきっと、一緒に楽しくなれるかも、だしね。
【へたうま考:結論】
で、ね。
『上手い』とか『下手』とか、
音楽仲間のうちでは、言い合わない、とか、
言わないようにする、とかして、
そういう表現を超えたところで、
励ましあう、認め合うのがよいよ。
その人にしかできない、その人の感性が、
きっと必ずあって、そこを探すことや、
そこに触れることに『本当の楽しみ』があるものだよ。
ね、それって『上手い』『下手』の2種類に分けるのは、
無理があるし、その分類が必要だった時代、
なにが基準だったのか、
その安易な批評感覚は、きっともうみんな自身が超えているよね。
ボクはそう思うんだ。
─────────────
▲・・・この感じが『上手い』『下手』というコトバについて、
ボクの書いておきたかったことなのかな、たぶんね。
(よっぽど、『へたうま』コンプレックスなんだな・・・)
『下手』と言われると、なにもかもやめちゃう人もいる。
『下手』と言われて『なに!』と、怒りに燃えて、
頑張る人、それがきっかけで頑張れる人も以前はいたんだけどもね。
最近になるほど、言ったほうも、言われたほうも、端で聞いたときも、
あまりいいことがない、ボクにはそういうことが多かった気がして。
コトバは道具でもあるけれども、時には凶器にもなるんだ。
萎縮が先立ってなにも言えないこと、それもどうか、とおもうけれども、
思いつき程度で、安易に振り回してはダメなコトバがある、
そういうこともあるのかも。
・・・時と場合にもよる※、けども。
(※熟達した人が、師弟関係に基づき、ビギナーをより上達に導くための叱咤激励に、
『上手くなったね』『下手にやろうとしてしまうんだね』など『へたうま等』的なコトバを、
下手な場合を除き上手に使い分けることは有り得ること、と思います♪←これは冗句か?)
▼ボクは、こんなんも、あって。
・・・ドラムを練習したら、
自分のギターの気付かないところが、
ちょっと見えた気がした。
・・・イベントでは、
あまりおもうようにギターが弾けなかったから、
単純にもっと練習したくなった。
だから、
今回はギターのエチュード。
もったり。
まったり。
ひゃらひゃらら。
しょりぃ~ん♪
そういうんでも、
どんなんでも、
伝えるカタチ、音楽になっているのなら、
それを続けることで、良いことのような気になれて。
うん、つまり、なにかしらは、
いつでも作り続けている、
ここにボクの『へたっぴぃ』なりの覚悟があるんだね、きっと♪
そして、こうしてボクが音楽を続けられるのは、
ボクの『へたっぴぃ』を、
ほめてくれた人がいる、そのおかげなんだけど、
それを忘れないようにしなくちゃね♪
【ギター・エチュード】
※リンククリックでアドオン再生できます。
◆title | 起死回生(きしかいせい)
◆title | 光風霽月(こうふうせいげつ)
◆title | 生生世世(しょうじょうせせ)
a)林の三叉路
b)木漏れ日模様
c)光線(太陽光)
d)どんぐりの背比べ
e)秋風
f)もぐらと根っこ
g)誰もいない出口
◆title | 明鏡止水(めいきょうしすい)
h)yeah!
i)水鏡
j)雨上がりの道
・・・今回のタイトルは、
『雑木林で散歩』をイメージしました。
≪ギター演奏の解説≫
『生生世世』とタイトルをつけた、
練習曲7作品のギター演奏の解説を、
『雑木林を散歩』の体験も重ねて書いてみました。
◆title | 生生世世(しょうじょうせせ)
a)林の三叉路
テンポ76bpmで2種類のギターをオーバーダビング。
クロスフェードであらわしている音の雰囲気に、
林の中で分かれていた、三叉路のイメージが重なりました。
武蔵野の雑木林は、そんなに広大ではないから、
別れ道のどこをたどってもいい。そういう散歩を楽しめるのです♪

b)木漏れ日模様
テンポ92bpmで2種類のギターをオーバーダビング。
シングルノートのギターと、アルペジオのギター。
トレモロ風のautoパンポットの効果で、木漏れ日を連想しました。

c)光線(太陽光)
FUZZ GUITAR によるアルペジオ。
この響きは特に和音のピッチを大切に弾いています。
上空から地面を突き抜けるイメージに宇宙や地球の回転感をおもいました。

d)どんぐりの背比べ
どんぐりの季節には、まだ早いですが、
ファンタジックなイメージは、宮沢賢治さんの『どんぐりの背比べ』の、
物語を思い起こし、木漏れ日にあふれたクヌギ林にぴったりな演出を、
連想しちゃいました。

e)秋風
今年の夏はひときわ暑かったですが、
林の中に入ったとき、ふと頬をかすめるような風に、
秋の気配を感じました。
そのテンポ感をコードの響きと連符で。

f)もぐらと根っこ
木の根?もぐらのトンネル?雑木林にも、
こうした、土の盛り上がったところに、昆虫や動物、
木の根、あらゆる、生存の跡形をみることができます。
地面を見ていても面白いのは、こうした森林を歩くことで、
ふと気がつくことがありますね。その?の感じを全体の響きから。

g)誰もいない出口
街中の雑木林ですから、
出口のようなところがあって、
その先は明るいわけですが、
人の気配はありません。
雑木林に人が群っていたら、それはそれはさも、
おぞましい光景ともいえそうですが、
たいがいは、雑木林は閑静な雰囲気につつまれているもの。
その領域から出る、その行為の心中は、いつだって独特な感に打たれます。
『1度出ればもう戻れない』感じをテンポ感で。
普段の生活に戻る感じを、メロディで。

───────────
【イメージの概況】
武蔵野(むさしの)。
明治頃までは、
武蔵野も、『雑木林』『田園』『なだらかな起伏』
『秩父連山と富士山の遠望』など、
人里に近いながらも四季折々の景観の素晴らしいところ、
と、いくつかの文献で謳われているようでしたが、
近年は多くの住宅や、建造物にさえぎられ、
その季節ごとの景観や遠望を、
日々の生活の一部として楽しむのは、
難しいこととなりました。
ただ、雑木林の中、その小道にふと足を踏み入れると、
外部の空気や雑音、遠景を僅かに遮蔽するので、
昔ながらの木々の香りを、想像も織り交ぜ、
『緑の豊かさ』を思い『武蔵野の名残』を、
どうにか楽しむことはできるようです。
雨上がりの午後、
ほんの短い時間でしたが、
近所の『雑木林』の中を通り抜けてみました。
そのときの思いを、自分の作成した練習曲(エチュード)と、
その音像(サウンド)の繰り広げる世界観とも連想し繋げて、
『雑木林を散歩』の中でのボクの体験した様子として、
小タイトル(a-j)に流れそのものを込めて重ねてみました。
いつも有難う御座います<(_ _)>
Ryoji Suzuki(^o^)♪
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ギターの『うまうまタイプ』でない、
ボクはなんだろ?
『拙い』とか、
そういう表現も、あるな。
『ボク、ぎたーツタないっす・・・タイプです♪』
むぅ。
あんまり聞かないなぁ。
なんか汚(きたな)そうだしな。
でもなぁ。
自分で自分のこと、
たとえひらきなおりでも、
『へたっぴぃ』なボクが、
『上手い』とか言ったら変だしな。
そういう、
客観なことを、
自分が言うのがへんなのかな。
よし!
これからは、
自称『うぅ・まさかミー・ギターヘンタッピリクス・ペイジョ・ハリプトン』と、
言おう。
変?
長い?
・・・意味?
ないよ。
明日には、
ここに書いたこのコトバの並び自体、
忘れちゃうしね♪
お・・・
そういえば。
『へたうま』って、
たまに聞くよね・・・
でも自分のことを、
『へたうま』も『うまへた』も、
やっぱり言えないもんね。
自分のことの、
客観論。
雑念的ウダウダ。
今日はこのくらいでやめておこうね♪
【他人のこと(考)】
他人のこと?
だれのことでも『上手い』は、
言ってもよいかも、だけれども、
『下手』って言うと、
言われて傷つくヒトいるよ。
え?
誰かに『下手』って言われたのか?って?
言われたこと、
あったかな?
いつでも自分をそう思っていたからな♪
たぶんそれで練習が続いているような気がするし。
あ、そうだ、
『これいじょう下手にならんようにしよう♪』
という思いで練習を始めたこと、
ここに書きながら今おもいだした、うん。
あと、『上手い』を連呼すると、
その周りで嫉妬する(悪い気持ちになる)ヒトもいるから、
よっぽど必要な時、それ意外は、
もしかしたら、
あんまりそういうこと、言わないほうがよいのかもね。
そういうふうにおもうこと、これまでもあったものなぁ。
うん、うん、
『上手い』も『下手』も、
他者の批評として、自分の主観の主張として、
当時者間では熱い議論を呼ぶこともあるけれど、
端(はた)で聞くとあまり面白いことはない、というのもあるね。
『面白い』と思う人もいるだろうし、そうでない人もいるんだね。
ほめます♪(。・ω・)っ&ヽ(゚◇゚ )ノよろこびます♪
このていどの範囲なら、いいよね♪
でも。
自分のことで、
『上手い』とか『下手』とかで、
思い悩み、苦しむのは、よそうね。
『下手だなぁ、自分・・・(TωT。)』なときは、
落ち込まずにワザを磨く練習をするといいもんね。
『けっこう、上手いじゃん、自分♪』なときは、
より一層調子にのって練習すればよいのだけれども。
そして、
練習をしたくないときは、
練習のやり方があまりよくなかったり、
そのやり方が自分に相応しくないときかもしれないから、
『無理矢理に練習』するのを、
ひとまずやめるのがよいことなんだ、
ボクはこれまでも時々そうおもったかな。
だから上手くなれないんだ、そうも思うけどもね。
だれかたよれるヒトにそういうの、相談するのもよいかもね♪
無理矢理な練習をやめたとき、
そんなときは、
新しい、か、それか、楽しいやり方、
気付かなかった『なにか』、
練習でもどんなことでも、見つけられると尚よいよね♪
楽しそうなヒトをそばに感じることで、
楽しいが連鎖すること、音楽には多いよね。
相談されたヒトもきっと、一緒に楽しくなれるかも、だしね。
【へたうま考:結論】
で、ね。
『上手い』とか『下手』とか、
音楽仲間のうちでは、言い合わない、とか、
言わないようにする、とかして、
そういう表現を超えたところで、
励ましあう、認め合うのがよいよ。
その人にしかできない、その人の感性が、
きっと必ずあって、そこを探すことや、
そこに触れることに『本当の楽しみ』があるものだよ。
ね、それって『上手い』『下手』の2種類に分けるのは、
無理があるし、その分類が必要だった時代、
なにが基準だったのか、
その安易な批評感覚は、きっともうみんな自身が超えているよね。
ボクはそう思うんだ。
─────────────
▲・・・この感じが『上手い』『下手』というコトバについて、
ボクの書いておきたかったことなのかな、たぶんね。
(よっぽど、『へたうま』コンプレックスなんだな・・・)
『下手』と言われると、なにもかもやめちゃう人もいる。
『下手』と言われて『なに!』と、怒りに燃えて、
頑張る人、それがきっかけで頑張れる人も以前はいたんだけどもね。
最近になるほど、言ったほうも、言われたほうも、端で聞いたときも、
あまりいいことがない、ボクにはそういうことが多かった気がして。
コトバは道具でもあるけれども、時には凶器にもなるんだ。
萎縮が先立ってなにも言えないこと、それもどうか、とおもうけれども、
思いつき程度で、安易に振り回してはダメなコトバがある、
そういうこともあるのかも。
・・・時と場合にもよる※、けども。
(※熟達した人が、師弟関係に基づき、ビギナーをより上達に導くための叱咤激励に、
『上手くなったね』『下手にやろうとしてしまうんだね』など『へたうま等』的なコトバを、
下手な場合を除き上手に使い分けることは有り得ること、と思います♪←これは冗句か?)
▼ボクは、こんなんも、あって。
・・・ドラムを練習したら、
自分のギターの気付かないところが、
ちょっと見えた気がした。
・・・イベントでは、
あまりおもうようにギターが弾けなかったから、
単純にもっと練習したくなった。
だから、
今回はギターのエチュード。
もったり。
まったり。
ひゃらひゃらら。
しょりぃ~ん♪
そういうんでも、
どんなんでも、
伝えるカタチ、音楽になっているのなら、
それを続けることで、良いことのような気になれて。
うん、つまり、なにかしらは、
いつでも作り続けている、
ここにボクの『へたっぴぃ』なりの覚悟があるんだね、きっと♪
そして、こうしてボクが音楽を続けられるのは、
ボクの『へたっぴぃ』を、
ほめてくれた人がいる、そのおかげなんだけど、
それを忘れないようにしなくちゃね♪
【ギター・エチュード】
≪音源:武蔵野4曲『練習曲12作品分』≫
『武蔵野』4作品 連続/選択再生プレイヤー
■作品タイトル
※リンククリックでアドオン再生できます。
◆title | 起死回生(きしかいせい)
◆title | 光風霽月(こうふうせいげつ)
◆title | 生生世世(しょうじょうせせ)
a)林の三叉路
b)木漏れ日模様
c)光線(太陽光)
d)どんぐりの背比べ
e)秋風
f)もぐらと根っこ
g)誰もいない出口
◆title | 明鏡止水(めいきょうしすい)
h)yeah!
i)水鏡
j)雨上がりの道
・・・今回のタイトルは、
『雑木林で散歩』をイメージしました。
■著作・制作 / 鈴木亮司 © Ryoji Suzuki 2012
≪ギター演奏の解説≫
『生生世世』とタイトルをつけた、
練習曲7作品のギター演奏の解説を、
『雑木林を散歩』の体験も重ねて書いてみました。
◆title | 生生世世(しょうじょうせせ)
a)林の三叉路
テンポ76bpmで2種類のギターをオーバーダビング。
クロスフェードであらわしている音の雰囲気に、
林の中で分かれていた、三叉路のイメージが重なりました。
武蔵野の雑木林は、そんなに広大ではないから、
別れ道のどこをたどってもいい。そういう散歩を楽しめるのです♪

b)木漏れ日模様
テンポ92bpmで2種類のギターをオーバーダビング。
シングルノートのギターと、アルペジオのギター。
トレモロ風のautoパンポットの効果で、木漏れ日を連想しました。

c)光線(太陽光)
FUZZ GUITAR によるアルペジオ。
この響きは特に和音のピッチを大切に弾いています。
上空から地面を突き抜けるイメージに宇宙や地球の回転感をおもいました。

d)どんぐりの背比べ
どんぐりの季節には、まだ早いですが、
ファンタジックなイメージは、宮沢賢治さんの『どんぐりの背比べ』の、
物語を思い起こし、木漏れ日にあふれたクヌギ林にぴったりな演出を、
連想しちゃいました。

e)秋風
今年の夏はひときわ暑かったですが、
林の中に入ったとき、ふと頬をかすめるような風に、
秋の気配を感じました。
そのテンポ感をコードの響きと連符で。

f)もぐらと根っこ
木の根?もぐらのトンネル?雑木林にも、
こうした、土の盛り上がったところに、昆虫や動物、
木の根、あらゆる、生存の跡形をみることができます。
地面を見ていても面白いのは、こうした森林を歩くことで、
ふと気がつくことがありますね。その?の感じを全体の響きから。

g)誰もいない出口
街中の雑木林ですから、
出口のようなところがあって、
その先は明るいわけですが、
人の気配はありません。
雑木林に人が群っていたら、それはそれはさも、
おぞましい光景ともいえそうですが、
たいがいは、雑木林は閑静な雰囲気につつまれているもの。
その領域から出る、その行為の心中は、いつだって独特な感に打たれます。
『1度出ればもう戻れない』感じをテンポ感で。
普段の生活に戻る感じを、メロディで。

───────────
【イメージの概況】
武蔵野(むさしの)。
明治頃までは、
武蔵野も、『雑木林』『田園』『なだらかな起伏』
『秩父連山と富士山の遠望』など、
人里に近いながらも四季折々の景観の素晴らしいところ、
と、いくつかの文献で謳われているようでしたが、
近年は多くの住宅や、建造物にさえぎられ、
その季節ごとの景観や遠望を、
日々の生活の一部として楽しむのは、
難しいこととなりました。
ただ、雑木林の中、その小道にふと足を踏み入れると、
外部の空気や雑音、遠景を僅かに遮蔽するので、
昔ながらの木々の香りを、想像も織り交ぜ、
『緑の豊かさ』を思い『武蔵野の名残』を、
どうにか楽しむことはできるようです。
雨上がりの午後、
ほんの短い時間でしたが、
近所の『雑木林』の中を通り抜けてみました。
そのときの思いを、自分の作成した練習曲(エチュード)と、
その音像(サウンド)の繰り広げる世界観とも連想し繋げて、
『雑木林を散歩』の中でのボクの体験した様子として、
小タイトル(a-j)に流れそのものを込めて重ねてみました。
いつも有難う御座います<(_ _)>
Ryoji Suzuki(^o^)♪
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