BUZZ BEAT
ねむれないたびだち
BUZZ BEAT。
・・・前回に続き、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)に、
ついてもう少し書いておく。
2013年5月26日、
サイタマの浦和のナルシスで、
イベントがおこなわれた。
主旨は、
昨年亡くなった、
松谷リョウジ、その友人たちが、
家族のいない彼のために、
それと、
発見が遅れ、
葬儀もおこなわれなかった彼のために、
セレモニーをおこなおう、
ということであった。
実際のところは、
そのセレモニーを企画する段階で、
友人同士での、意見のおりが合わず、
一時は頓挫しかけた。
ながらも、
BUZZ BEAT。
・・・前回に続き、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)に、
ついてもう少し書いておく。
2013年5月26日、
サイタマの浦和のナルシスで、
イベントがおこなわれた。
主旨は、
昨年亡くなった、
松谷リョウジ、その友人たちが、
家族のいない彼のために、
それと、
発見が遅れ、
葬儀もおこなわれなかった彼のために、
セレモニーをおこなおう、
ということであった。
実際のところは、
そのセレモニーを企画する段階で、
友人同士での、意見のおりが合わず、
一時は頓挫しかけた。
ながらも、
その企画は、
地元の彼との交友のある有志と、
彼のかつての活躍の場であり、
その当時の交流の中心であった、
楽器店や音楽スタジオ、ライブハウス関係者、
など多くの方々の賛同を得ることで、
ようやく実現できた。
その企画のタイトルは、
有志により、
『CONVER SESSION to R』
と名づけられた。
これらの、
活動の中心を成したのは、
コジマ タカユキ 氏である。
コジマ氏いわく、
『松谷リョウジ は 私にとって、様々な道を指し示してくれた、唯一の恩人である。』
『彼を語らずして、今の私はない。』
『そのもっとも、自分にとって影響を与えたのは、彼の率いる、BUZZ BEAT(バズ・ビート)の存在であった。』
『その恩を授かった私は、彼に対し、生前に何ひとつ恩返しができなかった。』
『彼の友人達は皆、彼の葬儀にも参加できなかった。』
『皆のココロの中にいる彼に、私ができることは、この企画(CONVER SESSION to R)を成立させることしか思い当たらない。』
この企画に参加した、
演奏者、企画関係者は皆、
多かれ少なかれそのような心のあるものが携わった。
また、
企画を賛同、応援してくださった方々、
オーディエンスとして足を運ばれた方々も、
そういった心のあるものとして来場してくださった。
おおまかには、
このような経緯があった。
そこで、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)を、
再現演奏する際、
彼(松谷リョウジ)の代わりを務めたのが、
ボク(鈴木リョウジ)である。
ボクにとって、彼(松谷リョウジ)は、
同じ時代(1985年頃~)に近いポジションを歩んだ友人であり恩人である。
ほんとうの、心底の、
彼の思いを理解できている、とは言えないけれど、
彼の気持ちを、そのほんの一部に過ぎないことではあるだろうけれども、
想像することはできる。
音楽をとおして、
今は亡き彼とボクは自分のココロの中で語り合った、
その上で彼とともにステージに立った。
【BUZZ BEAT:演奏曲目】
1.TWO FACES(トゥ・フェイシス)
2.FOOLS TIME(フールス・タイム)
3.SLEEPLESS(スリープレス)
4.SUNDAY MONDAY EVERYDAY(サンデイマンデイエブリデイ)
5.IN THE SHADE(イン・ザ・シェイド)
6.Low Light(ロウ・ライト)
7.CHANGING(チェンジング)
8.怒りのうた
2013-5-26
◆著作:BUZZ BEAT & Ryoji Suzuki (c) 2013
◆制作/編集:Ryoji Suzuki (c) 2013
この企画で得たものは、
音楽を通じた、『交流の継続』であった。
彼の友人と、
それか友人同士が、
旧来を懐かしみ、
新たな次回の約束を交わした。
それらの多くは、
具体性にとらわれることではなく、
『また会いたいよね』『今度、いつか、何かをしよう』というようなことだ。
人と人との繋がりには、
いろいろなカタチがあるけれども、
少なくとも、
今回の、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)に関しては、
だいたいの方が、
30年近い年月を経ていて再開しているわけだから、
「長いつきあいのある友人」といえるような多数の人たちが、
バンド活動をきっかけとした接点をこういうカタチで、
継続、それか、新たな気持ちと接続できたことは、
ボクには、何か『未来に明るい』ものを見るような気がした。
『未来に明るい』は、
『あたたかい未来』でもあるし、
『帰る場所』のような「安らぎ」や、
「濃い信用」の「実感のようなもの」にも思える。
(短い小さい繋がりを否定する意味ではないよ)
それらのことを、
ここでは、
『音楽のチカラ』の賜物だ、と、
そういうふうにもボクは思うし、
音楽にそういうチカラがあることを認識した、
貴重な実体験となった。
『古いモノ、コト』『新しいモノ、コト』
には、とらわれたくないこと、忘れ去りたい過去や、不安定な未来がある。
また、
『古いモノ、コト』には、時を経ても変わらずに大切にしたい出来事や思い、
『新しいモノ、コト』には、未だ見ぬモノへの期待や夢があるものだ。
『古い』『新しい』
というだけの先入観でものごとを判断し勝ちになる場面がある。
そこには、良いことも悪いこともありそうだ。
『古い』か『新しい』か、
だけでは判断できないところに、ものごとの真実が潜んでいるのだろう。
いつも有難う御座います<(_ _)>
Ryoji Suzuki(^o^)♪
地元の彼との交友のある有志と、
彼のかつての活躍の場であり、
その当時の交流の中心であった、
楽器店や音楽スタジオ、ライブハウス関係者、
など多くの方々の賛同を得ることで、
ようやく実現できた。
その企画のタイトルは、
有志により、
『CONVER SESSION to R』
と名づけられた。
これらの、
活動の中心を成したのは、
コジマ タカユキ 氏である。
コジマ氏いわく、
『松谷リョウジ は 私にとって、様々な道を指し示してくれた、唯一の恩人である。』
『彼を語らずして、今の私はない。』
『そのもっとも、自分にとって影響を与えたのは、彼の率いる、BUZZ BEAT(バズ・ビート)の存在であった。』
『その恩を授かった私は、彼に対し、生前に何ひとつ恩返しができなかった。』
『彼の友人達は皆、彼の葬儀にも参加できなかった。』
『皆のココロの中にいる彼に、私ができることは、この企画(CONVER SESSION to R)を成立させることしか思い当たらない。』
この企画に参加した、
演奏者、企画関係者は皆、
多かれ少なかれそのような心のあるものが携わった。
また、
企画を賛同、応援してくださった方々、
オーディエンスとして足を運ばれた方々も、
そういった心のあるものとして来場してくださった。
おおまかには、
このような経緯があった。
そこで、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)を、
再現演奏する際、
彼(松谷リョウジ)の代わりを務めたのが、
ボク(鈴木リョウジ)である。
ボクにとって、彼(松谷リョウジ)は、
同じ時代(1985年頃~)に近いポジションを歩んだ友人であり恩人である。
ほんとうの、心底の、
彼の思いを理解できている、とは言えないけれど、
彼の気持ちを、そのほんの一部に過ぎないことではあるだろうけれども、
想像することはできる。
音楽をとおして、
今は亡き彼とボクは自分のココロの中で語り合った、
その上で彼とともにステージに立った。
【BUZZ BEAT:演奏曲目】
1.TWO FACES(トゥ・フェイシス)
2.FOOLS TIME(フールス・タイム)
3.SLEEPLESS(スリープレス)
4.SUNDAY MONDAY EVERYDAY(サンデイマンデイエブリデイ)
5.IN THE SHADE(イン・ザ・シェイド)
6.Low Light(ロウ・ライト)
7.CHANGING(チェンジング)
8.怒りのうた
2013-5-26
◆著作:BUZZ BEAT & Ryoji Suzuki (c) 2013
◆制作/編集:Ryoji Suzuki (c) 2013
この企画で得たものは、
音楽を通じた、『交流の継続』であった。
彼の友人と、
それか友人同士が、
旧来を懐かしみ、
新たな次回の約束を交わした。
それらの多くは、
具体性にとらわれることではなく、
『また会いたいよね』『今度、いつか、何かをしよう』というようなことだ。
人と人との繋がりには、
いろいろなカタチがあるけれども、
少なくとも、
今回の、
BUZZ BEAT(バズ・ビート)に関しては、
だいたいの方が、
30年近い年月を経ていて再開しているわけだから、
「長いつきあいのある友人」といえるような多数の人たちが、
バンド活動をきっかけとした接点をこういうカタチで、
継続、それか、新たな気持ちと接続できたことは、
ボクには、何か『未来に明るい』ものを見るような気がした。
『未来に明るい』は、
『あたたかい未来』でもあるし、
『帰る場所』のような「安らぎ」や、
「濃い信用」の「実感のようなもの」にも思える。
(短い小さい繋がりを否定する意味ではないよ)
それらのことを、
ここでは、
『音楽のチカラ』の賜物だ、と、
そういうふうにもボクは思うし、
音楽にそういうチカラがあることを認識した、
貴重な実体験となった。
『古いモノ、コト』『新しいモノ、コト』
には、とらわれたくないこと、忘れ去りたい過去や、不安定な未来がある。
また、
『古いモノ、コト』には、時を経ても変わらずに大切にしたい出来事や思い、
『新しいモノ、コト』には、未だ見ぬモノへの期待や夢があるものだ。
『古い』『新しい』
というだけの先入観でものごとを判断し勝ちになる場面がある。
そこには、良いことも悪いこともありそうだ。
『古い』か『新しい』か、
だけでは判断できないところに、ものごとの真実が潜んでいるのだろう。
いつも有難う御座います<(_ _)>
Ryoji Suzuki(^o^)♪
この記事へのコメント:
en16
Date2013.05.31 (金) 04:07:14|編集
∧__∧
( ・ω・) おはようございます
ハ∨/^ヽ
ノ::[三ノ :.、 素敵な一日を
i)、_;|*く; ノ
|!: ::. .T~ お過ごし下さい
ハ、__ _|
""""""~""""""""""""~""""""~""""""~""
Re: en16 さま
Ryoji Suzuki
Date2014.02.04 (火) 15:27:46|編集
こんにちは。
いつも有難う御座います。
WEBでもいつもお元気でいらっしゃる、
その素晴しい
ご活動と活躍ぶりに
敬服いたしております。
皆、共に、
これからも頑張ってたくさん遊びましょう。
Ryoji Suzuki(^o^)♪
管理人のみ閲覧できます
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Date2014.04.21 (月) 00:57:09|編集
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