ブログとは
ねむれないぐるぐる

・・・と。
廻る歳月。
ボクがブログを書き始めて、7年が経った。
ボクの立ち位置を思えば、
ベテランには程遠いし、
迂闊な発言は気をつけないと、など、
そういう初心も忘れてはならないし、
それでも昨日今日始めた方よりは、
少しは長くブログを書いている、
と、自覚することも大切なんだ、と、思い始めている。
そこで。
ブログについて
ボクの主観ではあるけども、
書きたい事を書いてみようとおもう。
ボクにとってブログは、
あらゆる情報の入手のための手段であり、また、
ブログ特有のお付き合いの場、その交流のためにも、
自身の情報だったり、自分や相手の考え方、感じ方も含めた、
お話を聴いたり、発言したりする場、と、捉えている。
それはコメント等直接やり取りの有無に関わらず、だ。
またこうした記事執筆では自己を省みる要素も大きい。
理想で言えば『有言実行』のひとつの象徴の場でもあるのだろう。
ブログというのは・・・

・・・と。
廻る歳月。
ボクがブログを書き始めて、7年が経った。
ボクの立ち位置を思えば、
ベテランには程遠いし、
迂闊な発言は気をつけないと、など、
そういう初心も忘れてはならないし、
それでも昨日今日始めた方よりは、
少しは長くブログを書いている、
と、自覚することも大切なんだ、と、思い始めている。
そこで。
ブログについて
ボクの主観ではあるけども、
書きたい事を書いてみようとおもう。
≪見出し≫
⇒【ブログというお付き合い:学び】
⇒【ブログ:運営の目的~自由度】
⇒【ブログ:相互訪問での交流と人間性】
⇒【ブログ:価値観と自身の位置づけ】
⇒【今日の音楽】
⇒音楽の解説:
⇒【“鈴音色”歌詞】
⇒【ブログというお付き合い:学び】
⇒【ブログ:運営の目的~自由度】
⇒【ブログ:相互訪問での交流と人間性】
⇒【ブログ:価値観と自身の位置づけ】
⇒【今日の音楽】
⇒音楽の解説:
⇒【“鈴音色”歌詞】
ボクにとってブログは、
あらゆる情報の入手のための手段であり、また、
ブログ特有のお付き合いの場、その交流のためにも、
自身の情報だったり、自分や相手の考え方、感じ方も含めた、
お話を聴いたり、発言したりする場、と、捉えている。
それはコメント等直接やり取りの有無に関わらず、だ。
またこうした記事執筆では自己を省みる要素も大きい。
理想で言えば『有言実行』のひとつの象徴の場でもあるのだろう。
ブログというのは・・・
・・・執筆者側には、
ニックネームの運営者も多くあり、
勿論実名の方も居られ、実名風の仮名称を用いる方もいる。
コメント投稿に関しても、コメンテイター側に立つ、
ブロガー自体時折ニックネームを使い分けたりして、
自己の存在を見えなくするタイプのコメントを書く、
そんなことは毛頭しない、ありえないと言われる方、
自他問わずなにか意見をしたい衝動はおきたものの、
なにがなんだかわからずとりあえずあてずっぽうな、
記名をする一般ユーザーの方、意図的にそうする方、
事実関係を元々ターゲットにしない手法やジャンルのブログコメント、
キリがないので・・・記名にはいろいろな手法やケースが想像できる。
“暗黙のルール”みたいな事があったとしてもボクはそれを理解しない。
書く側を悩ませる「悪口」や所在不明な書き込みは
一昔前とは違って、減ったようにも見受けられる。
ただそれだけに心ない書き込みや無用な非難、
「追っかけ非難」を目の当たりにした時のその生々しさには心が痛む。
ちなみにボクからの書き込みと自身のブログ運営は全て実名ベースだ。
非難や誹謗、中傷など、陥れる表現等を書き込まれた覚えが未だない。
ブログのお付き合いの中には、相互やり取りや、その主題にもよるが、
リアルな現状とその当事者、そこにどこからともなく現れる方からの、
仮想や理想的、独善的、主観的な言い分や言い回しが、正義と言えど、
比較検証なされず対人間で混同し、激しく衝突する事もしばしばあり、
そこを「現実に基づく」と、捉える方もいれば、「仮想」的に
振る舞うことで縛りのない方向を保守なされる方もいるだろうし、
「理想」の追求のあまり、盲目的、洗脳的な表現に区別がみえず、
見る人のさらなる困惑と不快感を伴なう表現になってしまったり、
その緩やかな変遷、または、急激な状況変化についてさえも
客観した視点で綴る方、それを読み学ぶ方も居られるだろう。
つまり、そういったところでは多くの人の様々な感情が交錯する
シンクロがブログやコメントを通して現実的に起きているわけだ。
そこではそこに集まる多くの方の意識が「学びを体験する場」となっている。
「学び」の前段階では、
個別の事実関係に基づく「価値観の違いを押し付ける」ケースや、
親身なアドバイスさえも「不要なおせっかい」となる事も少なくない。
このあたりはとても難しく、書く側も受ける側も、
その瞬間の心の状態の如何にかかっている場面も多く、
そのパターンによる解釈や心理の使い分けはなかなか高度なことで、
ここらが実際の「学び」と言えそうなところだ。
失態、失言は恐れず、自分にとって本意でないことが起きたなら、
そこから学ぶことで自分を成長させよう、目覚められれば尚良い。
ボクがそういう現場に居合わせたら、その障壁を乗り越える姿に
応援をするし、もしボクがそういう目にあったら、みんなからも、
応援してもらえている、とみんなを信じていこう、と思う。
“ブログのお付き合い”について、
少し細かいところに入りすぎた。
表題の『ブログとは』に話を戻そう。
ブログの運営で、明らかな目的を持たれる方は、
自分の目標や到達地点を決め、責任の範囲も含め、
そのことに特化した、内容のブログを構築するだろうし、
その場合、実名かニックネームか、は目的の如何による。
これに対して、ブログを運営するのに、
大まかなイメージはあるものの、リアルを綴ることに投身する方、
日々の雑感や生活についてのリアルを綴る方、
現実にとらわれず美しい理想や未来を一心に投影される方、
マイペースであっても、毎日の業とされることであっても、
専門の事柄について初心、熟練に問わず更新される方、
ゆるさを求めたり「きちんとこなす」を課題にする方々もあり、
その目的ひとつをとっても、様々な感じ方や、
やり方がほぼ自由に選択され、停止、変更、
中断や復帰など、思うまま実行に移すことができるのも、
ブログの特徴だと思う。でもここで言うほど、
そう簡単に停止、変更はできない筈であるが。
ボクはしばしば、FB(フェィスブック)との比較を取扱うが、
ブログは今でも自由度が高い、そう感じている。
ブログテンプレートひとつにも執筆者の濃い深い思い入れや、
その姿勢の「潔さ」までもが見えるように思え、実に楽しい。
FBは利点も多いのだろうが、FBに登録し、
明らかな目的がある、意図が明確な場合以外は、
プラットフォームの流れに順ずることが基本主体となる点が、
イメージ上で「自由度が高い」という点を先ず持てるブログと、
相対する主なSNSでは、感覚的に大きな差を生むところだろう。
FBで実名ベースでの参加だと自ずと制限した物言いになるか、
それとか仲間内に通じる符合を用いることとかも、
もしそうあるのなら保守性を実感できている、
そういうケースもあるのではないだろうか、
ある意味安心や安定感として・・・など、ふと思う。
が、それゆえに、ニックネームベースで、
さらに保守的なエネルギーが主体となる、
そういうふうに感じてしまうボクにとっては、
当時(5年以上前頃)のmixiは、他所に入り込めず、
苦手に思えたか、で、自ら自然と遠ざかってしまった。
ここに綴ったことも、
今この後に書くことも、
あくまでも自分のこと、
自分が見て感じていることだけれど、
ボクのケースでブログを続けていると、
ブロガー同士の相互訪問の行為が、
ブログに関するエネルギーの種類の中で、
そのエネルギーをつぎ込む所作に大きく影響してくる。
つまりブログ間で相互訪問する行為、
書いている皆様の様子をお伺いするのと、
そこで起きるやり取りを見るのもするのにもとても力を使うし、
そこで感じたこと、受取ったことを自身に理解させるのにも、
とてもエネルギーを要する、というわけだ。
しかしながらこのことは、ことの善し悪しではなく、
ボクにとっては、とても重要且つ尚今、必要なことなのだ。
ボクにとってはその主題のことがどうなったか、
ということよりもそこにまつわる方々の感じ方、
表現の仕方、共有や交流における意識、そういうところに触れたいし、
そういう人間性に関わることがボクの知りたいことだから。
人間性交流の進化を思わせるそのような交流、それと相反し、
ブログそのものや出来事に対する考え方について、
細かい点や物事の見え方、その乖離が、
ちょっとしたやり取りを通して、そのやり取りをするブロガー間にも、
その周りで様子を伺っている方にも微妙さとして伝わってきたりする。
一部前述と重なる点だが、コントロールできないような感情で、
ときおり病的にも支配されてしまう自分に対して、
それに悩まされるということも、ボクだけでなく、
ブログ運営者側には多いことなんじゃないかな、って思う。
そういった体験を乗り越えて、
より深くお付き合いするケースもあるだろうし、
ある第一線という境界をもつことを大切にされる方も当然あるだろう。
もちろん、その中間点やその変遷についても、変化している状態、
変わりゆく自身とその周りを体験している最中、という方も居られるだろう。
ボクからは主な事象に支援はあれど介入する目的はないので、
個人の主張や主権をまず大切にしたいのは、言うまでもない、
という思いがあるが、しかし改めてきちんと言っておきたい。
ボクは『介入』はしないし、個人の『主張』『主権』を一番にしたいし、
とうぜん裁くこと、そういった戒めなどありよう筈もない、あり得ない。
大切なのは言われて変化することではなくて、自らが気付き悟ることだから。
本当の『支援』については今後も末永く多くを皆さまと共に学んでいきたい。
おっと、また深いところに首をつっこんでしまった・・・
ブ、ブ、ブログとは・・・
ブログでは、
ひとつのことを発言するのに、
検索を活用し事例や思うこと、事情や慣例、画像等を、
比較や参照に用い表現できることもブログの特徴だ。
またそれらの選択や配列、巧みな言い回しによって、
世間や人心、特定の方に大小影響を及ぼす書き表し方もできるし、
頓珍漢な言い方だって取り混ぜてコントロールすることもできる。
おおよそは、
どんな言い方をしてもその人なりの「人間性」は、現れてくる訳で、
そこの選択も読まれる方の価値観次第で、どうにでもなったり、
また自身をどうにでも位置付けることも可能になってくる。
・・・うん、まだ書きたい事、
ありすぎるな、どんどん出てきちゃう。
でも、今日はここまでにしようかな。
ふとブログについて書いてみたくなった、
昨日、今日のボクでした♪
【今日の音楽】
音楽の解説:
この楽曲“鈴音色”は、2009年10月に当ブログでエントリーした。
楽曲の作曲は、たしか、1999年頃で、歌詞は何度も制作したが、
ここで歌っているのは、2009年の公開に向けて作詞した歌詞だ。
冒頭の『月夜誘われて御礼参り~』は、
2009年当時のブログの相互訪問で「お礼」とか「ポチ参り」とか、
さかんに相互挨拶で使われているコトバから、ヒントを得たもの。
中秋の名月にちなんだ、秋の季節に合わせた公開だったけど、
最近ヒット数が多く、また「この曲をみんなに聴いてもらえばいいのに」
とアドバイスをくださったブロガーさんがいらっしゃったので、
そのおコトバに甘んじて今回の『ブログとは』のエントリに関連させ、
ここで再掲載した。
【( ・ω・)っ歌詞です♪】
▲おきてがみのバナー
♪デンデンヽ( ・◇・)_♪いらっしゃい♪_(・ω・ )っムシムシ♪
グァテマラ( ・ω・)_旦~~どーぞ♪
ご来訪有難う御座います。
Ryoji Suzuki(^o^)グルグルリン♪
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ニックネームの運営者も多くあり、
勿論実名の方も居られ、実名風の仮名称を用いる方もいる。
【ブログというお付き合い:学び】
コメント投稿に関しても、コメンテイター側に立つ、
ブロガー自体時折ニックネームを使い分けたりして、
自己の存在を見えなくするタイプのコメントを書く、
そんなことは毛頭しない、ありえないと言われる方、
自他問わずなにか意見をしたい衝動はおきたものの、
なにがなんだかわからずとりあえずあてずっぽうな、
記名をする一般ユーザーの方、意図的にそうする方、
事実関係を元々ターゲットにしない手法やジャンルのブログコメント、
キリがないので・・・記名にはいろいろな手法やケースが想像できる。
“暗黙のルール”みたいな事があったとしてもボクはそれを理解しない。
書く側を悩ませる「悪口」や所在不明な書き込みは
一昔前とは違って、減ったようにも見受けられる。
ただそれだけに心ない書き込みや無用な非難、
「追っかけ非難」を目の当たりにした時のその生々しさには心が痛む。
ちなみにボクからの書き込みと自身のブログ運営は全て実名ベースだ。
非難や誹謗、中傷など、陥れる表現等を書き込まれた覚えが未だない。
ブログのお付き合いの中には、相互やり取りや、その主題にもよるが、
リアルな現状とその当事者、そこにどこからともなく現れる方からの、
仮想や理想的、独善的、主観的な言い分や言い回しが、正義と言えど、
比較検証なされず対人間で混同し、激しく衝突する事もしばしばあり、
そこを「現実に基づく」と、捉える方もいれば、「仮想」的に
振る舞うことで縛りのない方向を保守なされる方もいるだろうし、
「理想」の追求のあまり、盲目的、洗脳的な表現に区別がみえず、
見る人のさらなる困惑と不快感を伴なう表現になってしまったり、
その緩やかな変遷、または、急激な状況変化についてさえも
客観した視点で綴る方、それを読み学ぶ方も居られるだろう。
つまり、そういったところでは多くの人の様々な感情が交錯する
シンクロがブログやコメントを通して現実的に起きているわけだ。
そこではそこに集まる多くの方の意識が「学びを体験する場」となっている。
「学び」の前段階では、
個別の事実関係に基づく「価値観の違いを押し付ける」ケースや、
親身なアドバイスさえも「不要なおせっかい」となる事も少なくない。
このあたりはとても難しく、書く側も受ける側も、
その瞬間の心の状態の如何にかかっている場面も多く、
そのパターンによる解釈や心理の使い分けはなかなか高度なことで、
ここらが実際の「学び」と言えそうなところだ。
失態、失言は恐れず、自分にとって本意でないことが起きたなら、
そこから学ぶことで自分を成長させよう、目覚められれば尚良い。
ボクがそういう現場に居合わせたら、その障壁を乗り越える姿に
応援をするし、もしボクがそういう目にあったら、みんなからも、
応援してもらえている、とみんなを信じていこう、と思う。
“ブログのお付き合い”について、
少し細かいところに入りすぎた。
表題の『ブログとは』に話を戻そう。
【ブログ:運営の目的~自由度】
ブログの運営で、明らかな目的を持たれる方は、
自分の目標や到達地点を決め、責任の範囲も含め、
そのことに特化した、内容のブログを構築するだろうし、
その場合、実名かニックネームか、は目的の如何による。
これに対して、ブログを運営するのに、
大まかなイメージはあるものの、リアルを綴ることに投身する方、
日々の雑感や生活についてのリアルを綴る方、
現実にとらわれず美しい理想や未来を一心に投影される方、
マイペースであっても、毎日の業とされることであっても、
専門の事柄について初心、熟練に問わず更新される方、
ゆるさを求めたり「きちんとこなす」を課題にする方々もあり、
その目的ひとつをとっても、様々な感じ方や、
やり方がほぼ自由に選択され、停止、変更、
中断や復帰など、思うまま実行に移すことができるのも、
ブログの特徴だと思う。でもここで言うほど、
そう簡単に停止、変更はできない筈であるが。
ボクはしばしば、FB(フェィスブック)との比較を取扱うが、
ブログは今でも自由度が高い、そう感じている。
ブログテンプレートひとつにも執筆者の濃い深い思い入れや、
その姿勢の「潔さ」までもが見えるように思え、実に楽しい。
FBは利点も多いのだろうが、FBに登録し、
明らかな目的がある、意図が明確な場合以外は、
プラットフォームの流れに順ずることが基本主体となる点が、
イメージ上で「自由度が高い」という点を先ず持てるブログと、
相対する主なSNSでは、感覚的に大きな差を生むところだろう。
FBで実名ベースでの参加だと自ずと制限した物言いになるか、
それとか仲間内に通じる符合を用いることとかも、
もしそうあるのなら保守性を実感できている、
そういうケースもあるのではないだろうか、
ある意味安心や安定感として・・・など、ふと思う。
が、それゆえに、ニックネームベースで、
さらに保守的なエネルギーが主体となる、
そういうふうに感じてしまうボクにとっては、
当時(5年以上前頃)のmixiは、他所に入り込めず、
苦手に思えたか、で、自ら自然と遠ざかってしまった。
【ブログ:相互訪問での交流と人間性】
ここに綴ったことも、
今この後に書くことも、
あくまでも自分のこと、
自分が見て感じていることだけれど、
ボクのケースでブログを続けていると、
ブロガー同士の相互訪問の行為が、
ブログに関するエネルギーの種類の中で、
そのエネルギーをつぎ込む所作に大きく影響してくる。
つまりブログ間で相互訪問する行為、
書いている皆様の様子をお伺いするのと、
そこで起きるやり取りを見るのもするのにもとても力を使うし、
そこで感じたこと、受取ったことを自身に理解させるのにも、
とてもエネルギーを要する、というわけだ。
しかしながらこのことは、ことの善し悪しではなく、
ボクにとっては、とても重要且つ尚今、必要なことなのだ。
ボクにとってはその主題のことがどうなったか、
ということよりもそこにまつわる方々の感じ方、
表現の仕方、共有や交流における意識、そういうところに触れたいし、
そういう人間性に関わることがボクの知りたいことだから。
人間性交流の進化を思わせるそのような交流、それと相反し、
ブログそのものや出来事に対する考え方について、
細かい点や物事の見え方、その乖離が、
ちょっとしたやり取りを通して、そのやり取りをするブロガー間にも、
その周りで様子を伺っている方にも微妙さとして伝わってきたりする。
一部前述と重なる点だが、コントロールできないような感情で、
ときおり病的にも支配されてしまう自分に対して、
それに悩まされるということも、ボクだけでなく、
ブログ運営者側には多いことなんじゃないかな、って思う。
そういった体験を乗り越えて、
より深くお付き合いするケースもあるだろうし、
ある第一線という境界をもつことを大切にされる方も当然あるだろう。
もちろん、その中間点やその変遷についても、変化している状態、
変わりゆく自身とその周りを体験している最中、という方も居られるだろう。
ボクからは主な事象に支援はあれど介入する目的はないので、
個人の主張や主権をまず大切にしたいのは、言うまでもない、
という思いがあるが、しかし改めてきちんと言っておきたい。
ボクは『介入』はしないし、個人の『主張』『主権』を一番にしたいし、
とうぜん裁くこと、そういった戒めなどありよう筈もない、あり得ない。
大切なのは言われて変化することではなくて、自らが気付き悟ることだから。
本当の『支援』については今後も末永く多くを皆さまと共に学んでいきたい。
おっと、また深いところに首をつっこんでしまった・・・
ブ、ブ、ブログとは・・・
【ブログ:価値観と自身の位置づけ】
ブログでは、
ひとつのことを発言するのに、
検索を活用し事例や思うこと、事情や慣例、画像等を、
比較や参照に用い表現できることもブログの特徴だ。
またそれらの選択や配列、巧みな言い回しによって、
世間や人心、特定の方に大小影響を及ぼす書き表し方もできるし、
頓珍漢な言い方だって取り混ぜてコントロールすることもできる。
おおよそは、
どんな言い方をしてもその人なりの「人間性」は、現れてくる訳で、
そこの選択も読まれる方の価値観次第で、どうにでもなったり、
また自身をどうにでも位置付けることも可能になってくる。
・・・うん、まだ書きたい事、
ありすぎるな、どんどん出てきちゃう。
でも、今日はここまでにしようかな。
ふとブログについて書いてみたくなった、
昨日、今日のボクでした♪
【今日の音楽】
▼鈴音色
[03min29sec]
◆title : 『◆鈴音色(作詞作曲:Ryoji Suzuki)』

■著作・制作 /鈴木亮司 (c) Ryoji Suzuki 2009-2014
![]() |
音楽の解説:
この楽曲“鈴音色”は、2009年10月に当ブログでエントリーした。
楽曲の作曲は、たしか、1999年頃で、歌詞は何度も制作したが、
ここで歌っているのは、2009年の公開に向けて作詞した歌詞だ。
冒頭の『月夜誘われて御礼参り~』は、
2009年当時のブログの相互訪問で「お礼」とか「ポチ参り」とか、
さかんに相互挨拶で使われているコトバから、ヒントを得たもの。
中秋の名月にちなんだ、秋の季節に合わせた公開だったけど、
最近ヒット数が多く、また「この曲をみんなに聴いてもらえばいいのに」
とアドバイスをくださったブロガーさんがいらっしゃったので、
そのおコトバに甘んじて今回の『ブログとは』のエントリに関連させ、
ここで再掲載した。
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【“鈴音色”歌詞】
月夜
さそわれて
御礼参り・・・
そう
ネイビーブルー
秋は香る風
どこまでも
すすき野原
そう
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト
いつも
ひとりなの
ミッドナイト
ムーンライト
お
ネイビーブルー
たとえ
まよいみち
君となら
こわくはない
お
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト
鈴
音色
満ちた
呼ぶ声
『スィリーン
スィーリローン
ローンリ
トゥユウ
ウウウウウウ』
周り波数へ
水面に映った
ミッドナイト
ムーンライト
お
ネイビーブルー
ゆめから
覚めたら
いつのひか
君のいろで
お
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト







▼
▼
▼
以上です
月夜
さそわれて
御礼参り・・・
そう
ネイビーブルー
秋は香る風
どこまでも
すすき野原
そう
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト
いつも
ひとりなの
ミッドナイト
ムーンライト
お
ネイビーブルー
たとえ
まよいみち
君となら
こわくはない
お
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト
鈴
音色
満ちた
呼ぶ声
『スィリーン
スィーリローン
ローンリ
トゥユウ
ウウウウウウ』
周り波数へ
水面に映った
ミッドナイト
ムーンライト
お
ネイビーブルー
ゆめから
覚めたら
いつのひか
君のいろで
お
ネイビーブルー
そう
メロディ
染めて
ムーンライト

▼
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▼
以上です
ご来訪有難う御座います。
Ryoji Suzuki(^o^)グルグルリン♪
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この記事へのコメント:
PCはま魔法のたまてばこ
流木庵{え~ちゃん}
Date2014.06.19 (木) 11:50:37|編集
《*´ `*》〃☆;:*:;☆おはよう~☆;:*:;☆
∧∧ *。_。))ウンウンღ
と⌒っ゚ω゚)ノ○今日も元気な一日を
今日もよろしくお願いしますo(^▽^)o
Re: 流木庵{え~ちゃん}さま
Ryoji Suzuki
Date2014.06.19 (木) 12:10:41|編集
こんにちは♪
コメント有難う御座います^^
>PCは魔法のたまてばこ
おぉ!そうでした。
ブログの内容ばかりにとらわれるあまり、
大切なことを忘れそうになってましたね、
そうです、PC(or端末)インターネット、
があってこそ、のブログの存在でしたね♪
流木庵{え~ちゃん}さまのコメントで、
ご助力でボクのブログ成り立ってますね。
いつも有難う御座います。
梅雨の合間?の晴れ間の長いサイタマです。
今日も元気に共に歩んで参りましょう~
Ryoji Suzuki(^o^)♪
秋までのカウントダウン…三ヶ月
gojyo
Date2014.06.21 (土) 14:39:31|編集
こんにちわwww
ブログっていろんな形があるんだよね~
文字の少ない写真いっぱいのブログなんかは
頭を使わなくてもいいし
ただぼんやり見てるだけでも心がほっとできるし
自分の子供の成長なんかを綴ってるブログは
ママの愛情たっぷりで
読んでるこっちまで微笑ましくなってきちゃうよね
親バカな感じって大好きww
自分の子が一番かわいいってのを一心に主張できるのもブログのいいとこだよね
これに関しては
ペットブログに通じる点でもあるけどね
りょうじくんのブログはね…
ははっ
結構頭使わせてくれる分
読みごたえがあって楽しいよwww
りょうじくんの考えと自分の考えを比較しながら読み進めていくからね
自分の中で消化するまでに時間はかかっちゃうけど
俺はその過程が面白くて楽しかったりするw
更新のペースもちょうどいいよね
記事内容に見合ったペースだから
訪問者に無理な負担をかけることなくじっくり読ませてもらえるしねw
交流に関しては
りょうじくんとは違って俺は消極的だからなぁ…
こうやってコメント書いてることじたい
俺の中では不思議なくらいです
りょうじくんの影響力はかなりのもんですww
管理人のみ閲覧できます
-
Date2014.06.21 (土) 20:29:40|編集
Re: gojyoさま
Ryoji Suzuki
Date2014.06.22 (日) 00:06:36|編集
うん。
gojyoさん、コメントありがと♪
気長にいこう・・・ね、
もし良かったら。
更新はボクらは、
マイペースタイプ。
それをできるブログを
やってきているんだから、
それでやろうよね、
もちろん、気の向くまま、で、ね。
ひと月、ふた月、
もしくは1年更新しないことだって、
あるじゃんね、ボクはそれでも、
良い、と思うし、実際休んで
ボクには良いことあったんだ。
更新の滞りとか、
そんなんで、たとえば・・・。
黙々と更新している方、
ある日なんらかのきっかけがあって、
そのペースを停止~それか変更する。
もしくは、
毎日やっていたことが、
何かの影響で、やれなくなる。
別に更新したくないわけじゃないのに、
1日、2日と経つごとに、
なぜか、更新する気がおきない。
そのままひと月、ふた月経って、
でも別に更新したくないわけじゃないのに、
なぜか、更新する気がおきない。
たまたま更新できても、
流動しているWEBという回転感の中に戻ると、
なにか取り残されているような、
申し訳ないような、
その更新が連続してたときに、
それまでいくらか感じていた、
リアルなレスポンスみたいのが、
反応みたいのが、
どうもしっくりこない。
自分は何か向いていない事をしているような、
なにか楽しいことを忘れてしまったような、
なにか盲目的で気付かないことばかり、
以前はやっていたような、
反省とも、気落ちとも、判断のつかない、
妙に淋しい、やるせない気持ちになったり。
・・・「黙々と更新している方」、
たとえ、ということで
いま書き出したけど、
これはボクのことも投影していて、
「黙々」でないにしてもボク自身は、
ここに書いたような経験をしたよ。
今省みて気付くのは、
過去の状態・・・そこでは、
あきらかに自分の中で、
その波の中では仮想的な感じで、
自分自身が盛り上がっていたんだ。
それは、
誰かに、
直接支えられていた、
というところのことではなくて、
支えられてはいたのだけど、
それ以上に自分のモチベーションが高かった。
だから支えられていることに、
勿論チカラを得ながらではあるけれど、
それ以上に自分が活性していたんだね。
ところが、
きっかけがあって停止したときからは、
自分の「やる気が消えた」と言わないまでも、
あきらかに以前とはコンディションが変わった。
ボクはそこで、
すっかりやる気を失っているような自分に
気付いたんだけど、その後しばらく、
ブログ、FB、メールなんかからも遠ざかり、
ある日、ふと情報を得て、
あし@が終るという話をきいて、
戻ってきて、恐る恐る履歴をみたんだ。
そのときボクはツライんだろうな、
もう誰もいないんだ、と想像した。
ところが実際はそうではなかった。
ボクは落ち込まないですんだんだ。
そんなボク、ボクの復帰のココロ、
それを支えてくれたのは、
僅かな足跡履歴と、
それでも、いつも来てくれていた、
かつて相互訪問をしていた、
数人のブロガーさんの訪問履歴だったよ。
記事を読んでくれていたか、
ただ来てくれていただけか、
は、ボクの想像でよかった。
ボクにしてみれば、
毎日、それか、時々、
窓の外から、様子を眺めにきてくれていたんだ、
そういうふうに強く思い込むことができたんだ。
これは、
たいへんチカラを呼び起こすこと、
となったよ。
リアルとはちょっと違うんだけれど、
あたたかいもの、確かに感じたんだ。
それでボクは、
更新を再開した。
それからのボクは、
訪問の仕方も変わったし、
自分に今できることは、何かな、
って、考え付くかぎりの記事を書いたし、
訪問をすること、その行く先のブロガーさんが、
求めている事、考える事を、日々少しずつ、
自分の立場からではあるけれど、
考えること、感じることを実践しているし、
それは今でもその気持ちを継続しながら、
また、探求しながら、
その発見を楽しみに思ってブログ訪問と、
記事の更新をしているよ、
あくまでも自分の主観で、だけれどね。
そんな中で、ボクのアクセスに、
一番ダイレクトに反応してくれたのは
gojyoさんだったね♪
gojyoさん以外でも、
ぎょっ、とした方はいたとおもう、
でもgojyoさんのブログには確かに、
スゴイ感じでボク、訪問したんだけれども。
ボクはgojyoさんにブログ相互訪問で、
知り合えたこと、本当に嬉しいんだよ
そして、ボクの事匿名記事に書いてまで、
くれたこと、ボクはとても面白くて、
そこでボク自身もぎょっとしたんだけど、
でも、それからだよね^^
今が続いているの♪
いつも有難うございます<(_ _)>
Ryoji suzuki(^o^)♪
gojyo
Date2014.06.22 (日) 02:09:02|編集
あいかわらずりょうじくんのコメ返は長いなぁ~
しかも思いやりたっぷりでさ
話してなかったけど
俺がりょうじくんを知ったのは
もう何年も前の事なんだよね…
たぶん
りょうじくんが「あし@」で
一番楽しそうにやってた頃なんじゃないかな?
その頃はさ
お互い眼中に入ってなかったみたいでさ
相互訪問もね
確か二週間も続かなかったと思う
でもね
ブログの名前は覚えてたんだ
あの時の…ってさ
だから解析見て
もしかしたらこの人は
俺の好きな「オルゴールのノクターン」を
聴いてくれたんじゃないかって思ったら
すっごく気になっちゃって…
「鈴音色」の前に好きだった曲なんだよね
ははっ
あの曲は一万回ぐらい聴いたかな?
俺って
曲に対する思い入れってのが人一倍強くてさ
好きになると
もう自分の子のように愛しくてたまらなくなるんだよね
トラックバック記事書こうと思って来たんだけど
なんかさ
もう
胸がいっぱいで書けそうにないよ
ブログっていいね
交流って素敵だね
あらためてそー思ったよ
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Date2014.06.25 (水) 23:21:19|編集
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