ねつけない
いつまでもかわらず
おもいでは
ふたりのたのしかった
くらし
うつしてた
はるかな
かげとひかりの
ゆめでそまった
オレンジと青い空
すこしずつ
褪せるそのなかを
かけぬけて
きみとであった
そのままを
いまかさねて
「ようこそ」
愛するあなたへ
おくるよ
このうた▼
■title : まほらま
■鈴木亮司<著作・演奏・歌>(c)2009 Ryoji Suzuki/OOP
まほら-ま:
「まほら」に同じ。
「倭(やまと)は国の―畳(たたな)づく青垣山籠れる倭しうるはし/日本書紀(景行)」
まほろば:
〔「まほらま」の転〕「まほら」に同じ。
「倭(やまと)は国の―たたなづく青垣山籠れる倭しうるはし/古事記(中)」
『大辞林 第二版 (三省堂)』
▼ギター&ヴォーカルのサウンドセッティング

おもいでは
ふたりのたのしかった
くらし
うつしてた
はるかな
かげとひかりの
ゆめでそまった
オレンジと青い空
すこしずつ
褪せるそのなかを
かけぬけて
きみとであった
そのままを
いまかさねて
「ようこそ」
愛するあなたへ
おくるよ
このうた▼
■title : まほらま
■鈴木亮司<著作・演奏・歌>(c)2009 Ryoji Suzuki/OOP
まほら-ま:
「まほら」に同じ。
「倭(やまと)は国の―畳(たたな)づく青垣山籠れる倭しうるはし/日本書紀(景行)」
まほろば:
〔「まほらま」の転〕「まほら」に同じ。
「倭(やまと)は国の―たたなづく青垣山籠れる倭しうるはし/古事記(中)」
『大辞林 第二版 (三省堂)』
▼ギター&ヴォーカルのサウンドセッティング


この記事へのコメント:
安らぎのサウンド
浦太
Date2009.09.22 (火) 09:14:51|編集
Re: 浦太 さま
Ryoi Suzuki
Date2009.09.25 (金) 13:29:33|編集
>安らぎのサウンド
あたたかい評価を賜り嬉しいです
たった今「浦太 さま」のログを拝読いたしたことで、
-----
サウンド。例えば、その「輪郭の濃淡」や「とあるイメージ」ばかりが先行することのないように、
つまりだれぞやに伝えるためのその「核=コア」とは、「目的」意識にあるのです・・・
-----
↑これらを学んでまいりました。
これからも宜しくお願いいたします~
Ryoji Suzuki(^o^)♪
元の元
浦太
Date2009.09.25 (金) 14:06:48|編集
音楽を作る人のほとんどはプレイヤーでもありますよね。
私もそうです。
でも、プレイヤーになる前は「ただ単に音楽が好きな人」だった訳ですよね。
もっと前は「単に人」だった訳ですよね。
後からくっついたモノで元の部分がおかしくなっちゃうと、いけないんじゃないかなって思うんですよ。
極端な事言えば
「音として面白くても、長い期間聞いていたら生理的におかしくなりそうな音(体に良くない音)を垂れ流すのはどうか?」
とかね。
「意識して」か「無意識に」かは分かりませんが、鈴木さん、その辺の事を大事にされている様な気がするんですよ。
Re: 元の元>浦太 さま
Ryoi Suzuki
Date2009.10.06 (火) 23:54:29|編集
こんばんは♪
「元の元」なるおことば、有難く頂戴いたしました。
そもそも「元の元」こそ、もっともシンプルな「ことがら」ですが、
-----------------
ことがら 【事柄】
ものごとの内容や様子。また、単にものごと。
「重要な―」「見聞したさまざまな―」
ことがら 【言柄】
(1)ことばの品位。ことばの趣。
「今の世の人の詠みぬべき―とは見えず/徒然 14」
(2)歌の風体・姿。
「此の歌は―やさしとて勝ちにき/無名抄」
※↑あ、すみません、「ことがら」を調べたらついおもしろかったので・・・
-----------------
「・・・ことがら」との表現は適切ではなかったかもしれません(^ ^;)
お話しをもとに戻しますね。
もっともシンプルであるはずの「そのこと」は、
「美意識みたいなもの」と「時代の潮流」と複雑に反応しあうようですね。
仮にですが、なにか「アート」みたいな表現を志す者は、「そのこと」を、「時代の潮流」に重ね相対させ、
己もしくは万人にとっての適切な意味を創造、追従し、次世代(又は現代において)を示唆するような役割を身をもって表現されるのだなあ、と感じております。
現代の多様化について、これも例えば、共存を求める、とするその行為には、
無限のプロセスが存在しているかのようにも感じております。
浦太 さまの作成されるログからも浦太 さまは見事それを体現されている、
と感じることができました。
私といえば実体験として言えるのは「まっすぐ」を追求すると、必然「まがりくねざるをえない」みたいな、
感じに陥り、ついつい顧み大笑いしてしまう有様です。
そして今後私の志すものは・・・ええ、まず楽曲での表現を試みます。
とうてい一人の力でなし得ることとは思えません。
是非、浦太 さま、(または、お読みくださったみなさま)どうか続きまして
ご指導のほう宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
「意識して」か「無意識に」・・・は涙ながらに拝読いたしました。
私、元気に頑張ります!
Ryoji Suzuki
No title
さよちゅう
Date2009.10.07 (水) 19:20:46|編集
今度はこっちにおじゃまします。
思い出は二人の楽しかった暮らしうつしてた。
そうだね・・・あのころにもどれればいいのになぁ。。。
いいわ。。。このブログにはあたたかい何かがあります。
何度もごめんね・・・。また来るわ
Re: さよちゅう さま
Ryoi Suzuki
Date2009.10.10 (土) 08:31:23|編集
おはようございます
もし記憶がなければ
人って
毎日が楽しくなるでしょうか
でも
僕は
何事も記憶にとどめないことに
極力努めています
たとえ楽しいことでも。
幸せって一瞬のものって
おもってます。
生きているうちに
きっと
1~2回くらいは
幸せっておもうこと
あるのかもしれないなって
おもっています。
だいたいはつらい気持ちでいたほうが
なんか気が楽です
「まほらま」
もしそんなところが
あるのなら
幸せのあまり
次のつらさがおそろしくて
いきていけません
現実を「愛する」
それ以外
なにができましょうや
そんな気持ちでありたいなって
うたにしてみました
Ryoji Suzuki
▼コメント投稿フォーム